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『キートンの大列車追跡』感想~世界三大喜劇王バスター・キートンの代表作

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出典:IMDb

世界の三大喜劇王と呼ばれる一人、バスター・キートンの『キートンの大列車追跡』を鑑賞。今までこの人の映像をチラ見したことは何度もあったけど、映画をちゃんと観るのはこれが初めてです。

ちなみに邦題は『キートン将軍』『キートンの大列車強盗』という名前も過去に付けられていたようです。では、感想です。

 

 

 

作品概要

THE GENERAL/1926年製作/アメリカ

監督:バスター・キートン、クライド・ブラックマン

出演:バスター・キートン、マリアン・マック、グレン・キャベンダー、ジム・ファーレイ 他

 

あらすじ

機関車ジェネラル号を恋人同様に愛する機関士ジョニー・グレイは、恋人を乗せた機関車を列車ごと北軍スパイに奪われて、彼女たちを奪回せんと獅子奮迅の大活躍をする。

allcinemaより引用http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=5127

 

感想

今まで観てこなかったことを後悔

率直に言って、とにかく面白かった!バスター・キートン天才じゃないですか。←今更

何故私はこれまで彼の映画を観てこなかったのだろう。観るチャンスはあったのに。某レンタルビデオ店でバイトしてた頃から、ずっと気になってはいたのだ。棚に並んであるキートン傑作集を眺めて、いつかは借りなきゃな、と。でも正直、まさかここまで色褪せない面白さのある喜劇役者だとは思っていなかった…。なんだか自分が恥ずかしくなるような思いです。 

(ちなみに、某レンタル店では何年もそのDVDを借りている人が居ない場合、売り場確保のために廃棄処分をしなければならなくて、キートン傑作集もそのリストに入っていたのですが、社員からその作業を任された私は「こういう作品こそ残しておかないといけないのではないのか」と御大層にも考え、独断でキープしたのでした(ある程度の裁量権はもらっていた)。自分は見てないくせに何を偉そうに言ってんだって感じだけど、今はそのときの自分を褒めてやりたいぜっ。)

話がそれたけど、本作『キートンの大列車追跡』はキートンの代表作だそうで、彼の素晴らしい魅力が特に詰まっている作品らしい。U-NEXTのおすすめに出てきた作品だったから視聴に至ったわけだけど、この作品から観て正解だったのかもしれない。

 

無表情の可笑しみ 

同じ時代の喜劇王、チャップリンが表情豊かな演技をするのに対して、バスター・キートンは徹底した無表情がトレードマークの役者のようだ。

映画を見始めて、品のある端正な顔立ちしてるな~と思っていたけど、その能面ヅラにこの人変わってるな…にすぐ変わっていったw どちらかというと、笑わないコメディアンのほうが好きだと自分で思ってたけど、この人の場合は群を抜いている。一気に好きになってしまいましたよ。

もちろん全く表情が変わらないわけではなくて、映画のなかで起こる様々なトラブルによってその能面フェイスが変化するさまがまた面白かった。驚いた様子を目だけで表現したり、基本的にこの人は目が武器なんだろうと思う。

表情だけではなく、道中に起こる様々な現象に戸惑って立ち止まって考える姿や、その佇まい、間の取り方など、そのすべてがもう天才コメディアンのそれで、幾度となく笑わされた。

南北戦争が始まって軍隊に応募する主人公キートンは、列車の運転手は今後必要だからという理由で落とされてしまう。だけどキートン自身はその理由を聞かされずに落とされてしまうため、他の男たちはみんなどんどん受かっているのに「なぜ自分だけ…」と疑心暗鬼になる。「体が小さいからダメなのか?」と思ってしまうキートンの可愛さよ。そして基本的に周りが見えてなさすぎるのも良い。この主人公は一つのことに集中するタイプの人なのだろう。

 

体はヒョロいのに身体能力抜群の活劇スター 

ジャッキー・チェンがバスター・キートンの影響を受けているということは聞いていたけど、この映画を観て超納得でした。

愛する人を乗せたまま北軍に乗っ取られて行ってしまった自分の列車を別の列車で追いかけ、様々な攻防を繰り広げていくわけですが、その中で自由自在に列車の上部を行き交うバスター・キートンの身体能力たるや…

棒っきれのような体のもやし系能面男が、身軽な体をヒョイヒョイと動かすため、観ている間はそこまで凄いことをしてるように見えないのですが、観終わって改めて考えてみるとこんなこと普通できないことに気付く。ずっと走りっぱなしの列車の上で撮影してるわけですからね。『ミッション・インポッシブル』シリーズのトム・クルーズの危険すぎるアクションシーンにお願いだから死なないでと願わずにはいれないけど、こんな昔にこれほど危険な生身のアクションを敢行していた人が居たとは…。しかもそれが能面の喜劇役者だなんて。畏れ入ります本当に。

列車での追跡と逃走、そしてヒロインの救出というハラハラ要素の詰まった活劇映画としても楽しめる。製作から93年後の今でもまったく色褪せないサイレント映画だった。

主人公キートンを手伝うヒロインが手持ち無沙汰になって列車をホウキで掃くシーンが好き。

 

 
 
 

『クリード 炎の宿敵』感想~息子たちの意地のぶつかり合いに号泣した映画

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(C)2018 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. AND WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.

ボクシング映画の金字塔『ロッキー』シリーズで、主人公ロッキーのライバルであり親友だったアポロ・クリードの息子、アドニス・クリードを主人公とした作品の2作目『クリード 炎の宿敵』。

前作『クリード チャンプを継ぐ男』の前に一度『ロッキー』シリーズを一気見して復習していたので、過去の因縁も踏まえつつ観ることができました。では、感想です。

  

作品概要

Creed II/2018年製作/130分/G/アメリカ
監督:スティーヴン・ケイプル・Jr
出演:マイケル・B・ジョーダン、シルヴェスター・スタローン、テッサ・トンプソン、フィリシア・ラシャド、ドルフ・ラングレン、フロリアン・ムンテアヌ他

 

あらすじ

世界チャンピオンとなったアドニス・クリードに、かつて試合で父の命を奪ったイワン・ドラゴの息子、ヴィクターとの試合の話が舞い込んでくる。ロッキーの反対を押し切り、父の仇をうつためアドニスは試合を受けることに決めるが…

 

感想(ネタバレあり) 

これは泣いた。恥ずかしながら声を出して号泣してしまいましたよ。

『ロッキー4』のアポロ・クリード対イワン・ドラゴ。かつての親同士の試合の結果、片方は父を亡くし、片方は母から捨てられてしまう。親の因縁マッチが息子たちに訪れるわけだけど、彼らにとってはそれはあくまで過去の話。彼らの戦う理由は自分自身の存在理由のためであり、リングでは互いの意地と意地だけがぶつかり合う。

もう、最後のこの試合のシーンが、この映画の全てだった。

ドラゴ息子の意地に号泣し、それを迎え撃つアドニスの意地によって涙腺がさらに崩壊し、気持ちと気持ちのぶつかり合いに震えずにはいられない。

特にドラゴ息子よ、君は頑張った!(そして最後にドラゴ父のとった行動に救われた)

正直いま思い出しながらも泣いてるわけですが、『ロッキー』一作目も何度見ても泣けるけど、この映画もそれと同じくらいに感情を揺さぶられる作品になっていました。

 

映画全体でいうと、そんなに好みの映画かというとそうでもなかったりして、主人公アドニスの魅力がもうちょっと欲しいと思ったりはする。ロッキーの(特に1,2作目の)フィラデルフィアの気の良い兄ちゃんなキャラクターが好きだから余計になんだと思うけど、アドニスはネガティブすぎてうだうだしてる時間が長いのがね。でもまあこれも次世代のシリーズとして現代的なものを象徴するキャラクターになってるのがこの映画の良さなのだろうけど。(多分、ノーラン映画の主人公的なお堅くジメジメしたキャラクターがどうも好きになれないタチなのだと思う)

一方で、ロッキーとの過酷なトレーニングの末の「出来上がりました!」感満載の顔つきはかっこよかった。あと、プロポーズの練習してるシーンは可愛いかったな。ロッキーの動物園でのトラ前プロポーズの話も聞けて何だか泣けたし。最終的に「自分の心で話せ」ってアドバイスするところがロッキーらしくて好き。

 

そしてこの映画は父子の物語でもありながら、母親の対比にもなっていて、自分の息子を自立した男として応援しつつ温かく見守るクリード母は、まさに母親の理想像なんじゃなかろうか。あくまで本人の強さを信じつつ、サポートのためにロッキーを呼んだり絶妙の距離感で息子を支えるパーフェクトな母。政治家のドラゴ母とは雲泥の差だ。

あと今回も含め『ロッキー』シリーズは、プロモーターによるマッチメイクの思惑みたいなところも毎回描かれているけど、これは一作目のアポロとロッキーの試合の成り立ちがそういうところから始まってるから全作共通してそうなのかなと思った。アポロとか、そういう面での自己プロデュースに長けた人だったし。父親世代はみんなキャラクターが全然違うのも面白く、ドラゴは今回完全にこじらせ系だった。

『クリード』シリーズで気になるところは、『ロッキー・ザ・ファイナル』で最終的に息子とは和解できてたはずなのに、このシリーズになってまたロッキーと息子との埋まらぬ距離が描かれているところ。このシリーズのための設定って感じがしてちょっとそこだけ違和感を感じてしまう。他の面ではシリーズを上手く引き継いでるだけに気になってしまうところだ。

まあ、でもとにかくファイトシーンが素晴らしく、かつてPRIDEファンだった私は、そうそうこれが格闘技の醍醐味なんだよおおおと熱い気持ちを取り戻すことができた。

 

 

 

 

『ペット・セメタリー』感想~子役ミコ・ヒューズのコワ可愛さと親父の心理

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出典:IMDb

怖くはないけど、人間のどうにもいかない心理をついていたホラー映画『ペット・セメタリー』(1989)。スティーヴン・キング原作・脚本です。

 

作品概要

Pet Sematary/1989年製作/アメリ
監督:メアリー・ランバート
原作・脚本:スティーヴン・キング
出演:デイル・ミッドキフ、デニース・クロスビー、フレッド・グウィン、ミコ・ヒューズ他

 

あらすじ

幼い子供を二人抱えた一家の引越し先の目の前にあったのは、大型トラックが昼夜問わずに行き交う道路。トラックに轢かれるペットがあまりにも多いため、近くにはペット霊園なるものが作られていた。しかしその霊園の先には、いわくつきの奇妙な力を持った埋葬場が存在していた…

 

感想(ネタバレあり)

幼児が二人いるのに、引越し先には目の前に危ない道路。お父さんが一人で決めた物件らしいけど、何故もっとしっかりと下見をしなかったのかと問いたい。冒頭からトラック危ないよーとひやひやしたけど、もうここからその後の悲惨な事故の伏線となっている。しかも、この二度とも両親がお姉ちゃんに気を取られて、2歳くらいの息子の目を離しているのだ。

自分の話になるけど、幼いころ家族と海に行って溺れたときのことを思い出した。海の中で急に足が付かなくなってしまった私は、まだ泳ぎのできない年ごろで、ゴボゴボと必死になって家族の助けを求めていた。しかし、もがきながら私の目にうっすら見えた光景は、浮き輪を付けた兄と両親がアハハウフフと楽しそうに海遊びに興じている姿。すぐ近くで溺れている私には誰も気付く様子がない。生まれて初めて絶望を感じた瞬間だった。結局どうにか自力で足の付くところまで移動でき事なきをえたのだが、最後まで誰にも気付かれず人知れず溺れていたやるせなさ。兄と両親のあの楽しそうな顔は今でも鮮明に脳裏に浮かぶ…(ちなみに浮き輪は元々1個しかなく、最初私が付けていたけど兄が借りていったのだった)

小さい子供が2人以上居ると大変なのは分かるけど、この映画の両親は2回も同じミスしてるからフォローのしようがない…

 

物語としては、死んだペットを蘇らせてくれる埋葬場があって、そこへ交通事故で亡くなった幼い息子を埋めて生き返らせてしまう父親の話なのですが、そこに埋められた者は姿は同じでも中身がゾンビみたいになってしまって、さて大変という映画でした。

 

そして、その息子役を演じたのがミコ・ヒューズ君。

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出典:IMDb

蘇ってからの表情がとにかく良いです。この歳でどうやったらこんな顔ができるのか。父親にトドメの注射針を刺されると「あああああぁぁぁ」と叫びながら、迫真の演技。

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出典:IMDb

しかも同時にかわいい。とてつもなくかわいい。刺されたあとの表情が特にかわいくて、父親に死ぬ前の健全だった息子を思い出させて亡くなります。おもしろ怖かわいいの三拍子が揃っていて私的には最高のシーンだった。

このミコ・ヒューズ君は、ブルース・ウィリス主演の『マーキュリー・ライジング』も良かったんだよな~。自閉症の少年を他にはない独特の雰囲気で演じていたのが印象的だった。

 

そして、蘇らせたら別人になってしまうと分かっていたのにも関わらず、かわいい息子を失った父親はその禁じ手を使ってしまうわけですが、これがもし自分だったらどうするかと考えさられたりもする。もし生き返らせる手があるなら、それが危なくてもやってしまうものかもなと。

しかしこの父親は、その蘇った息子によって愛する妻も殺されてしまったのに、今度はまたその妻を埋めて蘇らせるから笑った。「前回(息子のとき)は埋めてから待ちすぎたのが良くなかったんだ」とか言って(笑)

でもこれも、人間って都合のいいテキトーな理由をこしらえるものだよな、と何だか妙に納得させられるものがあって、人の心理を面白く描いている映画だと思いました。

案の定ゾンビになった妻に殺されるところまで描かれ、陽気なエンディング曲で締めたように、笑えるニュアンスがあったのも良かった。

 

『ワンダー 君は太陽』感想~太陽は、惑星を照らす

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(C)2017 Lions Gate Films Inc. and Participant Media, LLC and Walden Media, LLC. All Rights Reserved.

顔に障害を持って生まれた少年と、彼の周りの人々を温かい視線で描いた映画『ワンダー 君は太陽』。 

監督は『ウォールフラワー』のスティーヴン・チョボスキー。主人公・オギーを演じたのは『ルーム』のジェイコブ・トレンブレイ、彼を見守る両親をジュリア・ロバーツオーウェン・ウィルソンが演じています。

『ワンダー Wonder』というベストセラーの原作があって、それまでグラフィック・デザイナーだったという原作者がこの小説を書こうと思ったきっかけが、顔に障害のある子を見て自分の子供が声を出して泣き出してしまったことからだそうです。

なので、成り立ちからして「人と違う子とどうやって向き合えばいいのかを子供たちに教えることを目指した作品」のため、基本的に善良な人ばかりが出てくる作品にはなっています。が、決してお涙頂戴系の描き方ではなく、しかし涙で目が腫れる映画でありました。では感想です。

 

作品概要

Wonder/2017年製作/113分/G/アメリ
監督・脚本:スティーヴン・チョボスキー
出演:ジェイコブ・トレンブレイオーウェン・ウィルソンジュリア・ロバーツ

 

あらすじ

オーガストこと”オギー”はふつうの10歳の男の子。ただし、“顔”以外は…。
生まれつき人と違う顔をもつ少年・オギ―(ジェイコブ・トレンブレイ)は、幼い頃からずっと母イザベル(ジュリア・ロバーツ)と自宅学習をしてきたが、小学校5年生になるときに初めて学校へ通うことになる。クラスメイトと仲良くなりたいというオギーの思いとは裏腹に、その外見からじろじろ見られたり避けられたりするが、彼の行動によって同級生たちが徐々に変わっていく…。

filmarksより引用https://filmarks.com/movies/68660

 

感想(ネタバレあり)

自宅学習から学校通学に変えることになって始まる話なのだけれども、これは主人公オギーの父親が「解体場に送られる子羊と同じだ」と例えたように、絶対に傷つくことは分かってる試練なので、見てるこちらもどうにか頑張ってくれと応援せずにはいられない。

作中では多分出てこなかったけど、オギーの障害は「トリーチャー・コリンズ症候群」という名前で、5万人に1人の割合で生まれてくる遺伝子性の疾患らしい。

映画のポスターだけ見て、学校でもヘルメットを被ったままなのかなと勘違いしていたけど、もちろんそんなことはなかった。小さな体にあの大きなヘルメットがなんとも可愛らしく、デザインもクールで良いヘルメットだなって思うけど、やっぱりずっとあれを被って生活するわけにはいかないもんなあ。

オギー自身も学校でどんなふうに奇異の目で見られるのかをすでに分かってるからなんとも痛ましく、案の定、傷ついて帰ってくるので「ああ…」とならずにはいられないのだけど、ついに友達ができて心のなかでスキップしてるオギーに涙腺崩壊。さらにそのあと息子が友達といる姿を見て、言葉が出てこない母役のジュリア・ロバーツが良かったよね。泣くわあんなの。ヘルメットを持って待ち構えていたのも、良い演出だった。今のオギーには必要ないのだヘルメットなんて。

そして何よりこの映画が良かったのは、別の登場人物の視点も描いていたこと。障害を持つオギーだけではなく、他の子たちも様々な悩みや感情を抱えているということを映し出していて、一人の話にはしていなかったことがこの映画のテーマに合っていて素晴らしかったです。なぜ、「君は太陽」なのかが分かりました。

オギーの初めての友達ジャック・ウィル(何故か苗字とセットで呼ばれる子)が、「顔はしばらくしたら慣れる」と言っていたけど、結局そうなんだよなって思う。どんな綺麗な顔面をした異性でも、ずっと一緒に居て四六時中見ていたら飽きてくるのと同じように、見慣れない顔も、いつかはそれが見慣れた顔になって何とも思わなくなってくるものなのだきっと。そして結局、楽しい人たちのところへ人は集まるのだということですね。 

ジャック・ウィルがいじめっ子たちに混ざって、オギーの居ないところで彼の悪口を言ってしまった場面も、子供ならよくあることだ。少女漫画で百万回読んだ「別にあいつなんて好きじゃねーよ」を好きな子に聞かれてしまうというパターンと同系統のやつだきっと。ちなみにジャック・ウィル役の子はどこかで観たことあるなーと思っていたら、最近観た『クワイエット・プレイス』で臆病な息子役をやっていたノア・ジュプ君だった。こっちでの演技も良かったし、今後の活躍が気になるところ。

そして主役のオギーを演じたジェイコブ・トレンブレイ君も『ルーム』でもう素晴らしさを存分に発揮してたけど、この映画でも見事だった。どこかチャーミングな哀愁が漂ってるのが良いのだよね。野外学習で喧嘩になったときにとった、あのファイティングポーズの可愛らしさは反則だ。

ジュリア・ロバーツと夫婦役を演じたオーウェン・ウィルソンも良かった。夫婦としての立場の強いしっかり者の妻の横で、常に笑いを添えて生活する夫。子供と一緒にゲームに夢中になる、若干子供のようなところのあるあの父親役にオーウェン・ウィルソンはハマり役だ。愛犬が死んでしまって一番泣いて落ち込んでいたのもこの父で、オギーに励まされたりしていた。

お姉ちゃん側の話も良かったし、お姉ちゃんは自分は割を食っても結局いつもオギーに優しいし、良いお姉ちゃんだなと思う。演じたイザベラ・ヴィドヴィッチの表情には結構引き込まれるものがあった。

そしてスティーヴン・チョボスキー監督は自身の小説を監督した『ウォールフラワー』がとても良かったので、この映画もきっと良いだろうと高を括ってたけど、やっぱりこの監督は一つ一つのシーンを丁寧に描く人だなあと思った。だから感情を誘う良いシーンが多いのだろうなきっと。そういえばよく考えると『ウォールフラワー』も友達の居ない子が友達を作るという作品だった。確か半自伝的な作品だったそうなので、監督の周りと馴染めなかった過去が本作にも生かされてるのだろうと思う。

 

ちなみに夫婦水入らずのディナーシーンで、オーウェン・ウィルソンジュリア・ロバーツに渡すプレゼントが何だったかのか結局明かされなかったので調べたら、あれは監督からのサプライズシーンで、何が入っていたかはジュリア・ロバーツに口止めされていて監督も言えないらしい。事前にプロデューサーから「ジュリア・ロバーツは映画史最高の笑い声の持ち主なのだから、絶対に引き出してくれよ」と言われていて、笑い声を引き出すためにあのプレゼントのサプライズをしたそう。

出典:Interview with Stephen Chbosky about "Wonder" /『ワンダー 君は太陽』 スティーヴン・チョボスキー監督来日インタビューneol.jp | neol.jp

プロデューサーにそんなことまで要望されるのか大変だなと思うけど、確かにあのジュリア・ロバーツの笑い方はこっちまで笑顔にさせる威力があった。あまりにも自然な笑い方だったので、きっと中身は知らなかったんだろうなとは感じたけど、やっぱり俳優の演技を引き出すには色んなやり方があるのだなあ。 

 

『ターミネーター』感想~今さら1作目を観て脚本の面白さを知る

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出典:IMDb

今さらながら、『ターミネーター』(1984)を初めて鑑賞。同シリーズは、子供の頃にテレビでやっていた『ターミネーター2』と続く3作目の2本しか観ていなかった。2作目が最初だったために、1作目に戻って観ることを億劫に感じていたフシがある。

しかし、1が面白いから2が制作されたわけなので、ここはちゃんと観ておこうと思い立って、遅ればせながらの鑑賞に至りました。

作品概要

The Terminator/1984年製作/108分/アメリ
監督・脚本:ジェームズ・キャメロン
出演:アーノルド・シュワルツェネッガーマイケル・ビーンリンダ・ハミルトン

 

あらすじ

核戦争後の近未来では、人類と機械軍の争いが続いていた。機械軍は人類の指導者であるジョン・コナーを歴史から抹消するため、1984年のロサンゼルスへ殺人アンドロイド、ターミネーターを送り込む。目的は、ジョン・コナーを産むことになる母サラ・コナーを殺すためだった。彼女を救うため人類側の戦士カイル・リースもそこへ送り込まれ、人類の生存をかけた戦いが始まる。

 

感想(ネタバレあり)

なるほど、『ターミネーター』ってこんな話だったのか…。シュワちゃんが敵役だったっていうことや、ジョン・コナーを産ませないためにサラ・コナーを殺しに来たっていうことは知っていたけど、カイル・リースという男の役割はまったく分かってなかった。たまにテレビの特集でターミネーターの映像が出ると、男の人居るなあ…くらいにしか思っていなかったけど、めちゃくちゃ重要な役じゃないか。どこで間違ったのかは分からないけど、博士みたいな人だという誤情報まで持っていた。(これは2と混同しているのかも)

サラ・コナーと同じ時代を生きる人だとも思っていたため、彼がシュワちゃんのあとに光を帯びて裸で舞い降りたのにはふつうに驚いた。しかも後々、その彼がサラ・コナーといい感じの雰囲気になって、ようやく私は気付く。彼がジョン・コナーの父親だったということを。

ターミネーター』は冷徹無比シュワちゃんが怖いという話はよく聞いていたけど、ストーリーも面白かったことがようやく分かった。

2では最初から強い女性だったサラ・コナーが、ドジなウエイトレスだったのも驚きの一つ。この映画はサラ・コナーの成長物語でもあって、彼女の変化していく姿も見ものでした。足を負傷してうずくまるカイルに「on your feet!ソルジャー!!!」と発破をかける場面なんか、土壇場での彼女の姿に涙がにじんできたほど。映画のラストでは、お腹に息子を身籠った彼女が完全にタフな女になっていて素敵でしたわ。ジェームズ・キャメロンの十八番であるタフな女主人公たちは、女の自分から見て憧れさせてくれるものがあるのが良い。

それから2にも使われているシーンを結構発見して、1作目からあったのか~って思ったりしたのと、シュワちゃんが自分で治療していたシーンも面白かった。

既に2を見てしまっているため、シュワちゃん演じるターミネーターの怖さは1から見た場合と比べて、だいぶ薄れてしまっていたと思うので残念。どうせ2では味方だしっていう感覚があるから、それほど絶望的な怖さは感じなかった。一回倒してるってことも知ってたわけだしね。

それから今の感覚からすると、怪我をしたターミネーターの顔など、ところどころで違和感がある場面も多い。とはいえ、当時の技術からするとしょうがなかったことなのだろう。ちなみに2を初めて観たときは、新ターミネーターT-1000のCGに子供ながら度肝を抜かれたのを覚えている。ここからCG技術がどんどん発展していったというからジェームズ・キャメロンってやっぱりすごい人なんだなと思う。1作目の成功があったからお金を使えたというのもあるようだ。

リアルタイムで観たい作品だったけど、脚本も素晴らしくて、今見ても面白い作品でした。しかし、あの両親からエドワード・ファーロングみたいな度を越した美少年が生まれるものだろうか。

 

 

『ある女流作家の罪と罰』感想~拝啓リー・イスラエル様

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出典:IMDB

今から50年ほど前に作家・三島由紀夫が書いた 『三島由紀夫レター教室』という本があります。この本は、5人の登場人物による手紙がストーリー仕立てに紹介され、それがそのまま手紙の書き方を指南するレター教室になるという体裁をとった、一風変わった作品です。

天才作家による遊び心の効いた洒落まじりの本ですが、このなかで三島は年齢性別の違う5人の人間による手紙をさまざまな筆致や内容で書きつづっていて、作家ならではの巧みな書き分けを存分に発揮しています。

今日取り上げる『ある女流作家の罪と罰』は、これと似た、作家ならではの技能を使って犯罪をおかしていく実在のアメリカ人作家、リー・イスラエルを描いた伝記映画です。

去年のアカデミー賞で三部門(主演女優賞、助演男優賞、脚色賞)にノミネートされながら日本では劇場公開されなかった作品のようですが、誰もがこの主人公になり得る可能性のある普遍的な話でもあり、映画としても非常に面白かったので、手紙という形式で感想をつづっていきたいと思います。

ネタバレらしいネタバレのある映画ではありませんが、映画の終わりのほうの内容にも触れているので、未見で内容を知りたくない人はご注意ください。

 

作品概要

Can You Ever Forgive Me?/2018年製作/106分/アメリ

監督:マリエル・ヘラー

出演:メリッサ・マッカーシー、リチャード・E・グラント、ドリー・ウェルズ、ジェーン・カーティン他

 

あらすじ

かつてベストセラー作家だったリーも、今ではアルコールに溺れ、仕事も続かず、家賃も滞納、愛する飼い猫の病院代も払えない。生きるために著作を古書店に売ろうとするが店員に冷たくあしらわれ、かつてのエージェントにも相手にされない。どん底の生活から抜け出すため、大切にしていた大女優キャサリン・ヘプバーンからの手紙を古書店に売るリー。それが意外な高値で売れたことから、セレブの手紙はコレクター相手のビジネスになると味をしめたリーは、古いタイプライターを買い、紙を加工し、有名人の手紙を偽造しはじめる。様々な有名人の手紙を偽造しては、友人のジャックと売り歩き、大金を手にするリー。しかし、あるコレクターが、リーが創作した手紙を偽物だと言い出したことから疑惑が広がり…
公式サイトより引用 

 

感想

拝啓 リー・イスラエル

私があなたを知ったのは、マリエル・ヘラーという女性監督による『ある女流作家の罪と罰』という作品です。この映画は、あなたが書いた自伝をもとに作られた作品のようですね。日本で暮らし英語もできない私には伝記作家だったあなたのことは知るよしもありませんでした。お許しください。ついでに言うと、あなたがずっと伝記本を書きたがっていたファニー・ブライスという喜劇女優も知りません。ご容赦ください。

昔は売れていたあなたが、お金に困り、愛する飼い猫を病院に連れて行くお金もない状態だったことに関しては、まことに同情いたします。かつてキャサリン・ヘプバーンからもらった手紙を古書店に売ってしまうのは、とても心苦しいものだったと想像します。しかし、著名人のユニークな内容の手紙が高値で売買されていると知ったあなたがとった行動は、作家として、いや、人としていかがなものかと思いました。

作家や有名人の文体を真似して手紙を書いて、それを彼らのものとして古書店に売るのは立派な犯罪です!作家としてのプライドはないのですか? いくら困窮していたとしても…。

とはいえ、あなたはさすがに伝記作家ですね。今は亡き著名人たちについて詳しいあなたは、熟練の書店員たちも騙すほどに、彼らの手紙を捏造してみせました。私は最初、罪と罰というタイトルを見て、作家の映画だからどうせ盗作か何かだろうと高をくくっていたんですよ。ところが、あなたがして見せたのは、無から有を生み出すひと手間かかった作業でした。あっぱれです。

しかもあなたの書く手紙は、書店員や収集家が喜ぶような、機知に富んだものでしたね。あけすけな毒舌も印象的でした。これはきっとあなたの皮肉屋な面が活かされていたんだろうと思います。映画を観ただけで判断してしまって申し訳ないですが、あなたはぶっきらぼうで、すぐに嫌味を言って、いつも何かに怒っていて、社交性の欠けた人間に見えました。と同時に、裏表のない正直な人にも見えました。皮肉なユーモアを含んだ手紙は、あなたの真骨頂と言えたのではないでしょうか。

きっとあなたが手紙を書くのにチョイスした有名人も、そんなあなたと相性がいい人たちだったんでしょうね。だからこそ彼らになりきり、騙すことができたのでしょう。とはいえ、自分の捏造した手紙に誇りを持ち、それらを自分の作品だと主張していたあなたには、はたから見て疑問も浮かびました。

そして、上には上がいるものですね。収集家によって、あなたの捏造は儚くもバレてしまいます。

法廷に立ったあなたの言葉はとても正直なものに聴こえました。「捏造をしていたときが自分の人生で最良のときだった」「この何年かで自分の仕事に誇りを持てたのは唯一あれだけだった」と。そしてあれは自分の作品だとかたくなに主張していたあなたが、結局あれは自分の本当の作品ではなかったと認め、「本当の自分の作品で勝負すればたちまち批評や批判にさらされる。そこに飛び込む勇気が私にはなかった」と話してくれました。

自分が書いた文章の面白さを褒められたら嬉しくなる気持ちは分かります。きっとあなたが書いたと知らない人たちの言葉を聞いて、承認欲求が満たされる思いになったんじゃないでしょうか。しかし、あなたが言うように、有名人の名前やステータスを盗んだ作品は本当の自分のものではありません。あなたは自分に自信がなく、安易な道へと落ちていってしまったのでしょう。

あなたを見ていたら、私自身も犯罪をおかしたあなたのようになりうるし、もしかしたら誰しもがあなたになりうるのではないかと思いました。

今の時代は「何を言ったかではなくて、誰が言ったかが大事な時代だ」というような意見も多く目にします(もはやそれを誰が言い出したのかも分かりませんが)。「自分になんて誰にも興味を持たないし、どこが良いのか分からないあの人がSNSで人気だったりするし、もう自分なんかはダメだ!」なんて、思考に陥ってしまいやすい世の中です。もしかすると、楽して得をしている人たちにならって、自分の信条を捨ててしまう人も出てくるかもしれません。

しかし、本当に真意をついている言葉は、それが誰の口から発せられた言葉であろうと必ず不変の価値あるものになるはずです。そしてそれは言葉という表現に限りません。

そういう意味では、あなたの書いた手紙は、有名な誰それが書いたものだからこそありがたがる人たちが居たわけで、価値のあるものではなかったのかもしれませんね。すみません、急に突き放して。

とはいえあなたから学ばせてもらったことに感謝したい気持ちでいっぱいです。友達の居なかったあなたが、孤独で似た者同士なところのあるゲイの友達と楽しく過ごした日々と彼との友情にはグッときました。

通常、犯罪者が自分のおかした悪いことを書きつづった自伝本を書いて儲けることには何だかモヤっとしてしまうことも多いですが、非常にためになるものだったし、自分について書くことがあなたにとっての本当の創作だったため、嫌な気持ちはまったくしていません。儲かったかどうかも不明ですしね。

今あなたは天国に居るようなので、この手紙が届くかどうかは分かりませんが、添削などせずお手柔らかに読んでいただければ幸いです。

日本のしがない映画ブロガーより

 

P.S. メリッサ・マッカーシーという女優とリチャード・E・グラントという俳優が、あなたとあなたのゲイの友達を好演していました。良い映画になっていたので、機会があれば観てみてくださいね。

 

 

『女王陛下のお気に入り』感想と若干考察~三人の女優が凄いし、監督も凄い

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(C)2018 Twentieth Century Fox

ヨルゴス・ランティモス監督作『女王陛下のお気に入り』を鑑賞。

いやー観たかった作品だけど想像以上の面白さだったー。宮廷を舞台に繰り広げられる、女王アンと二人の女官の三つ巴の愛憎劇。これだけ聞けばよくありそうな宮廷ものに思えるけど、監督がヨルゴス・ランティモスということで、一癖も二癖もありながら素晴らしい作品に仕上がってました。

ちなみにストーリーは基本的に史実どおりらしいです。ということで感想です。

 

作品概要

The Favourite/2018年製作/120分/アイルランド・イギリス・アメリ

監督:ヨルゴス・ランティモス

出演:オリヴィア・コールマンエマ・ストーンレイチェル・ワイズニコラス・ホルト

 

あらすじ

時は18世紀初頭、アン女王が統治するイングランドはフランスと交戦中だった。アン女王を意のままに操り、絶大なる権力を握る女官長のレディ・サラ。そこにサラの従妹で上流階級から没落したアビゲイルがやってきて、召使として働くことになる。サラに気に入られ侍女に昇格したアビゲイルだったが、ある夜、アン女王とサラが友情以上の親密さを露わにする様子を目撃してしまう。サラが議会へ出ている間、アン女王の遊び相手を命じられたアビゲイルは少しずつ女王の心をつかんでいった。権力に翳りが見えたサラに、大きな危機が訪れる。それはいつの間にか野心を目覚めさせていたアビゲイルの思いがけない行動だった……。

公式サイトより引用 

  

感想(ネタバレなし)

徹底的な作り込み

書きたいことがたくさんある映画でしたが、まずは監督ヨルゴス・ランティモスの徹底した映画の作り込みについて。

ヨルゴス・ランティモスギリシャ人の監督で、今までに『籠の中の乙女』(2009)『ロブスター』(2015)『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』(2017)といった作品を撮っています。

私は『ロブスター』しか観たことないですが、この映画は「結婚しない人間は罰として動物に変えられてしまう」という世界を舞台にした寓意に満ちた不条理劇で、ブラックユーモア、シニカル、シュールといった言葉が似合う作品でした。

そしてそんな作劇は本作『女王陛下のお気に入り』にも通底していて、宮廷という一つの閉じられた世界をブラックな笑いで包みながら寓意的に作り込んでいます。

とても印象的だったのが、広角レンズや魚眼レンズを使ったゆがみのある映像の数々。これらは彼女たちが生活する宮廷内や庭を何か不自然なものに見せます。普通のレンズでは見えない広すぎる天井や空、地面がいびつ極まりなく、どこか現実の世界とは乖離しているような印象を与えていて寓話性を際立たせます。

黒を基調にした衣装や画面も素晴らしく、自然光や蝋燭の灯りだけを使ったという光の演出も、美しい明暗を浮かび上がらせていて、映像的にも見応えのあるものになっていました。広角レンズも明暗もかなり好みの画だったので、私としてはもうこれだけで見たかいあるという気持ちになりました。

さらに音楽も良かったですし、何よりシーンの所々で一定のリズムで鳴る音の演出のサスペンスフルな効果よ。細かい動物の鳴き声や暖炉の燃える音もしっかりと乗せます。音といえば、イギリス英語の小気味良さも作品に活かしている感じがしました。

序盤に宮廷内の野蛮な遊びをスローモーションで見せ、醜さを際立たせておいて、中盤あるキャラクターが卑劣な行為をおかす箇所で、再びスローモーションの野蛮な遊びのシーンを織り交ぜ彼女の行為の醜さを強調させたりもします。

笑える箇所も多いし、とにかくまあ色んな面で作り込まれていて、ディテールの細かさに唸りました。

 

感想(ネタバレあり)

これぞほんとの三つ巴

物語の中心人物は以下の三名。

アン女王に信頼を置かれ政治を左右する絶大な権力を持ち、女王と肉体関係まであるサラ。そこへ召使として宮殿へやってきたアビゲイルが割り込みサラの座を脅かそうとする。そこから生まれる悲喜劇が本作の筋です。

この三人が文字通りの三つ巴合戦を繰り広げるわけですが、こんなにも三人の登場人物を同じバランスで描き込んだ作品が他にあるでしょうか。本当に三人が全員主役なんだこの映画は。キャラクターの立ち方、役者の演技、役の深み、三名ともに同じバランスで素晴らしくて、誰にも多面性があって感情移入できる映画となっている。これだけでもう賞賛ものでした。

アビゲイルは、野心をむき出しにして卑怯な手を使ってまでして女王に取り入っていき、結果的にサラの座を奪うわけですが、彼女が最初からそんな青写真を描いていたかというと、そういうわけではなく。もちろん、元々はレディーで現在の身の上に満足していたわけではないから、折を見計らってサラと女王の信頼を得て少しでも上に行こうとしていたわけですが、そんな彼女の存在に危険を感じたサラの扱いによって、彼女の野心に火がついてしまったわけです。見ようによっては、アビゲイルは二人に巻き込まれてしまったとも言えます。サラに変わる存在になったとして絶対に苦労するのは分かり切ってるから、見てる側としては「やめとけぇ~」と言ってあげたくなるけれども渦中の彼女にはそんな視点はない。

サラはサラで、女王に対してときに冷たくあしらい、ときに優しくなり、幼馴染ならではの親密さと辛辣さを保っていますが、政治や宮中の仕事に忙しい彼女は女王に構ってあげられる時間も少なく、その隙に、いつの間にか女王とアビゲイルが親密な関係を築いていて、そこから彼女はアビゲイルとの戦闘モードに入っていきます。最初は権力を握って女王を意のままに操っているように見えるけど、アビゲイルとは違ってサラは本当に女王のことを愛していたというのが分かるので、嫉妬という感情によって悪循環に陥る彼女にちょっと同情してしまいます。

そして女王アン。アンはとにかく子供みたいな君主で、政治はさっぱりだし、だらしないし、泣きわめくし、すねるし、弱い者にあたるし、まあとにかく権力が作り上げた奇怪なモンスターです。しかし容姿のコンプレックスがあったり、何より17人もの子供を亡くしている不幸な女性で、非常に繊細な人でもあります。彼女が飼う17匹のウサギは亡くなった子供の名前がつけられています。そしてそんなウサギたちを可愛がってくれたことによってアビゲイルに信頼を寄せていくわけですが、サラとアビゲイル二人から取り合いされている状況に喜ぶ様子がなんとも下衆かったりします。ちなみにアン女王が落ち度のない若い綺麗な従僕たちを怒鳴り散らすシーンが結構あるんですが、そこは彼女が寵愛するのが女性だからその対比になっていたのかなと。全然関係ないけど、数日帰ってこないサラの不在に耐えかねてアン女王が言う「サラを探しなさい!」という言葉に、灯りで部屋を見渡す従僕のシーンは可笑しかった。こういう些細な笑えるシーン入れてくれるの好きw

 

ラストシーンに感じたもの

そして終盤、アビゲイルが仕掛けた策謀によってサラは追放され、残ったアン女王とアビゲイル嬢のラストシーンへ向かっていくわけですが、このラストシーンがこの映画の肝となっていて非常に良かったです。

ウサギを踏みつけたアビゲイルを見て、彼女の本性に気付いたアン女王。立ったまま痛風の足をアビゲイルに揉ませ、彼女の頭を支えにしようと手を置いて髪の毛を掴み、アビゲイルに女王の優位を示します。しかし、一番見どころなのはそこからの二人の表情の変化で、アビゲイルとアン女王それぞれの顔のアップになり、二人とも苛立ちの表情から、次第に心はその場を離れ、遠くへ行ったような顔つきに。耳鳴りのようなキーンという音が聞こえてきます。

私には、二人とも、私は何をしてるんだろうという虚無の感情が宿ったように見えました。

アビゲイルにしてみれば、こんな策謀をするつもりではなかったことにようやく気付いたのだろうと。直前、サラからアン女王への手紙を読んだアビゲイルが涙を流し、そのあと彼女が手紙を捨てたことによってサラが国外追放になってしまい、それまでと打って変わって少し動揺した様子も描かれていました。きっとあの涙は、サラの女王に対する本当の情愛のこもった手紙に心を揺れ動かされたんだと思います。ラスト前に女王が倒れたところを助けようと駆け寄ったときに、わざわざ「Dear アン」と呼んでいたのも手紙の影響だろうなと思います。自分のしたことに少し気付きかけていた彼女でしたが、最終的に女王の足をさすりながら、やっと自分のやっていることの無意味さに気付いた様子でした。

女王も同じように、彼女の我儘や子供のような振る舞いが起こした行動によって、大事な存在だったサラという女性を失ってしまい、残ったのは、地位を手に入れるために自分に取り入ったアビゲイルだけと気付き、もはや自分には何もないということに気付いたのかなと。彼女は子供も失くしているのでそれを含めて空っぽな自分に直面してしまったのだろうと。

虚無感溢れるラストが本当に見事で、そこにウサギたちの映像が重なっていき、なんともいえない後味のラストとなっています。このラストシーンに代表されるように、ヨルゴス・ランティモス監督はキャラクターの表情を切り取ることによって感情のヒダを豊かに表現していて素晴らしかったし、演じた三人の女優たちは拍手喝采したくなるほどの演技でした。

オリヴィア・コールマンの演技は本当になかなか見られるようなものじゃなくてオスカーも完全に納得ものだし、レイチェル・ワイズの男前かつ情感のある演技もかっこよくエレガントで、エマ・ストーンの純朴さから野心家への変化の様子も見事だった。

良いものが観れました。 

 

 

『アリー/スター誕生』感想~主役はブラッドリー・クーパー

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(C)2018 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC

1937年『スタア誕生』の3度目のリメイク版となる『アリー/スター誕生』。

既に音楽界のスターであるレディー・ガガが、スターへの階段を上がっていく主人公を演じる映画となると興味をそそられます。共演のブラッドリー・クーパーとどういう相性を見せてくれるのかということにも期待しながら鑑賞しました。(ブラッドリー・クーパーが監督も務めてることはあとから知る)

ちなみに今までのスタア誕生3作はどれも未見。

今回割とマイナスな感想が多いので、この映画が大好きで批判は目にしたくないという人はそっ閉じでお願いします。

 

作品概要

A Star Is Born/2018年製作/136分/アメリ
監督・脚本・製作:ブラッドリー・クーパー
出演:レディー・ガガブラッドリー・クーパー、アンドリュー・ダイス・クレイ、デイヴ・シャペル、サム・エリオット、ラフィ・ガヴロン他

 

あらすじ

音楽業界での成功を夢見るアリーが、国民的ミュージシャンのジャクソンにその才能を見出され、華やかなショービジネスの世界で愛と挫折を経験しながらやがてスターへの階段を駆け上がっていく物語。
Firmarksより引用

 

感想(多分そんなにネタバレなし)

楽曲がいまいちだった

アメリカでは批評家からも観客からも評判の良かった作品だったそうですが、私はあまりのれない映画でした。正直、2時間16分という時間が長く感じた。

その一番の理由は、楽曲がつまらなかったこと。歌曲賞も受賞してる映画なのに何言ってんだって感じだけど、いち個人の感想ということでお許しを。

一般的に音楽映画は当然歌ってるシーンが多いから、楽曲が好みに合わないと毎回本当に見るのが苦痛でしょうがない。王道のミュージカル映画も、そこに使われてるいかにもミュージカルな曲自体が大の苦手なので、観ているあいだ本当に胸やけがしてきます。

この映画も主役2人が歌手なので、とにかく歌うシーンが多いけどほとんど響いてこず。そこで歌われるのはカントリーロックとかブルースロック、バラード系な曲が多く、スローめで割と単調な、味わいで魅せる楽曲となっています。すべてオリジナルで作ってるのは素晴らしいと思いますが、曲が物語とリンクしている以上、必然的にハードルもかなーり高くなってしまうのが難点。

冒頭、ブラッドリー・クーパー演じるカントリーロック歌手、ジャクソンが歌うシーンは、大勢の観客を熱狂させるステージとなっていて、この歌手が大物なんだなってことを伝えるシーンになっています。

しゃがれた渋めの声と曲調から、なんとなくパール・ジャムエディ・ヴェダー系のミュージシャンかなと想像したとおり、実際にブラッドリー・クーパーエディ・ヴェダーをモデルにし、彼のもとへ話を聞きに行ったりもしていたそう。ちなみにブラッドリー・クーパーはそれまで全くやってこなかったギターと歌もこの映画のために習得。気合いが入っています。

しかし、人気歌手という物語上の設定を納得させてくれるまでの説得力は、残念ながら私は感じられなかったんですよね。これが普通に役者のブラッドリー・クーパー本人が歌っているという状況なら、役者なのに上手い!と確実に思えてたとは思うんですが。

しかも私はモデルとなったエディ・ヴェダーをたまたま知っていたために、自然と彼と比較してしまっていたと思います。エディ・ヴェダーが音楽を手掛けた映画『イントゥ・ザ・ワイルド』(ショーン・ペン監督)は、大袈裟じゃなく本当に一番好きな映画でして、めちゃめちゃ思い入れが強く、エディ・ヴェダーの音楽も本当に素晴らしいんですよ。特に「Guaranteed」って曲がめちゃめちゃ素晴らしく…。

エディ・ヴェダーの深みのある歌声と歌詞、曲を知っていたため、それをモデルとして作ったジャクソンというキャラクターの歌う歌が、真似てはみたものの核となる部分までは真似できてないというふうに感じてしまったんだと思います。

ブラッドリー・クーパーも声を作ったりして頑張ってたんですけどね。曲もいまいちだったため、これでこんなに人気があるのか?とまずそこから物語に入っていけずでした。

そしてレディー・ガガはさすがに上手かったですが、こちらも曲が好きじゃなかったです。ガガはやっぱり「Born This Way」のようなギラギラで激しめなポップスを歌ってるほうが好きだ。

あと曲の歌詞が全体的に、直接的すぎるうえに臭く聴こえるのが結構しんどかった。物語に則して主人公たちの感情や状況が歌になるのは音楽映画の基本だと思うけど、それが歌に反映されすぎててちょっと気持ちが悪い。特にブラッドリー・クーパーが歌う曲がナルシスティックに感じて嫌だったなあ。

とまあ、曲がいまいちということに文字を割きすぎてしまったけど、オリジナル曲を使った音楽映画で本当に満足できるもの自体がなかなか希少なものなので、これはしょうがないなという気もしている。私がこういう映画を観るのを止めれば早い話だしな。でもそんなこと忘れてしまってついつい見ちゃうんだけどさ。

 

主役はブラッドリー・クーパー 

ストーリーに関しては、酒に走るタイプの弱い男の話が基本で、アリーというよりジャクソンの映画でした。

他のスタア誕生がどこまで男側寄りなのかは知らないけど、監督がブラッドリー・クーパーで、相手役は女優が本業じゃない歌手ならば、そういう比重になってもおかしくはないなと思った。元々女優志望だったレディー・ガガは演技もナチュラルで良かったけどね。

ブラッドリー・クーパーはアル中な男でほとんど酒に酔ってるんだけど、その酒浸り演技はめちゃくちゃ上手いし、ブラッドリー・クーパーお得意の傷つきやすい、純粋で弱さのある男の役は見事だった。兄とのシーンは泣けたし、難聴が進んでしまって音楽活動もうまくいかず、どんどん自分を追い詰めていってしまうところが切なくやりきれない。

ブラッドリー・クーパーはイケメンだけど、あの笑顔と瞳の純粋さが他の俳優との差異を作っていて面白い俳優だなと思う。笑顔の裏に心に傷を抱えてる役が似合う。わけても『世界にひとつのプレイブック』や『ジョイ』などのブラッドリー・クーパー×ジェニファー・ローレンス×デヴィッド・O・ラッセル監督の組み合わせは相性が良くて好きだ。

レディー・ガガとの間にはジェニファー・ローレンスとの共演ほどにはマジックは生まれていなかったかなとは思ったけど、よく考えればあのマジックはデヴィッド・O・ラッセルだからこそなのかもしれない。 

監督としてのブラッドリー・クーパーは、どうなんだろう、この映画は良いところもあったと思うけど、いまいちなところも多かったから難しい。もっとギュッとして2時間以内には抑えられるんじゃないかとは思った。

最初の2人の出会いの場面で、ジャクソンがアリーの素顔が見たいと言って濃い化粧をとるんですけど、ここのシーンは普段派手なメイクと格好で人前に出ているレディー・ガガ本人の素顔を見せるという、二重の意味になっていて良かったと思いました。 

でもやっぱりアリーがサクセスストーリーを歩んでからの人間描写が足りなかったため、ラストの良さが薄れたかなという気はします。

 

 

『ペピ、ルシ、ボンとその他大勢の娘たち』感想~ペドロ・アルモドバル監督デビュー作

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IMDbより引用

ペピ、ルシ、ボンとその他大勢の娘たち』を鑑賞。

『オール・アバウト・マイ・マザー』『トーク・トゥ・ハー』『私が、生きる肌』などのスペインの巨匠ペドロ・アルモドバルの商業映画デビュー作です。

 

作品概要

Pepi, Luci, Bom y otras chicas del monton/1980年製作/81分/スペイン
監督・脚本:ペドロ・アルモドバル
出演:カルメン・マウラ、フェリクス・ロタエタ、アラスカ、エバ・シバ他

 

あらすじ

自宅で大麻の栽培をしていたことがバレてしまい、警官に逮捕の代わりにレイプされ処女を奪われるペピ。警官に復讐するために彼の妻ルシに近づくが、マゾヒストのルシはペピの親友のサディスト、ボンと恋人関係になり家を出ていくことになる。

 

感想

久し振りにアルモドバルの初期作品を観たけど、やっぱりぶっ飛んでて面白かった。エロス、SM、変態、犯罪、といったアルモドバル作品に通じる要素がこのデビュー作からもうビンビンw

大麻の栽培がバレた主人公が、警官に逮捕されないために自分から相手を誘っておいて、「処女だからア◯ルにして」とか言っている冒頭からもう色々とおかしい。彼女は高値で処女を売りたかったらしいです。

就職した広告会社で主人公が作ったCMがインサートされるのですが、このCMも下品の極み。面白かったけど。

また、ゲイのアルモドバルらしく、ごく自然に同性愛者やバイセクシャルの人々が描かれ、みんながみんな自由を謳歌しています。

自主映画っぽい固定カメラの画面やシーンは、当時のスペインの若者たちがそのまま映画に登場しているような印象を与えていて、街角で撮影するアルモドバルやその仲間たちが目に浮かんできました。

物語の本筋(そもそも物語もあってないようなものなんですが)とは全然関係ないちょっとした脇役のおもしろシーンもあり、本当に自由です。

アルモドバル自身もカメオ出演してるんですが、そのシーンもまた下品で下品でw

若きアルモドバルが楽しんで撮ってるのが伝わってきました。

一方で、家庭で夫に虐げられる妻を自由な世界にいざなう女性たちの物語は、これもまたアルモドバルらしいところです。アルモドバルは本当に女性を魅力的に描くなあと思った。主人公ペピを演じたのはアルモドバル作品常連のカルメン・マウラ。明るくて強い女性が似合う。

ジャンルで言うならコメディ映画になると思うけど、普通のコメディ映画ともまた違うアクの強さがあるのでなんとも言いがたい。とにかく色んなキャラクターが登場して個性を発揮していく楽しい映画です。

 

U-NEXT でアルモドバル作品を特集してるのを発見して観ました。昔ビデオ屋に置いてあったのはすべて借りたけど、今まで観れなかった作品が無料であったのでありがたい。配信系ってあんまりヨーロッパ映画が充実してないからもっと増えたらいいなって思う。

 

『グザヴィエ・ドラン バウンド・トゥ・インポッシブル』感想~ドランファン必見ドキュメンタリー

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(C)2016 Tangaro - Shoot again productions - MK2 - Sons of Manual - Metafilms

若きカナダ人監督、グザヴィエ・ドランのミニドキュメンタリー『グザヴィエ・ドラン バウンド・トゥ・インポッシブル』を鑑賞。

ドラン監督のインタビューや、出演者・関係者のインタビューを集めて構成されてます。

 

作品情報

Xavier Dolan: a l'impossible je suis tenu/2016年製作/52分/フランス

監督:ブノワ・プショー

出演:グザヴィエ・ドラン、アンヌ・ドルヴァル、スザンヌ・クレマン、ナタリー・バイ、ニールス・シュネデール、ヴァンサン・カッセルギャスパー・ウリエルメルヴィル・プポー

 

感想

52分と短めのドキュメンタリーですが、グザヴィエ・ドラン好きは楽しめると思います。何より、これまでの監督作品についての話が聞けたのが嬉しい。

長編監督作は以下6作です。

  • マイ・マザー (2009)
  • 胸騒ぎの恋人 (2010)
  • わたしはロランス (2012)
  • トム・アット・ザ・ファーム (2013)
  • Mommy/マミー (2014)
  • たかが世界の終わり (2016)

(まだ日本で公開されてない最新の作品もありますが、本作は2016年製作なのでそれは含まれておらず)

私の場合は、『マイ・マザー』と『胸騒ぎの恋人』を5年くらい前に立て続けにDVDで観て「す、すげえ…」となったのが最初でした。久しぶりに胸がときめく映画作家に出会ったと興奮したものです。映像センス、音楽センス、ユーモアのセンス、人間の機微の映し出し方、すべてが卓抜していてもう何も言えねえって感じでした。なんといってもデビュー作の『マイ・マザー』のときにまだ20歳とかですからね。しかも監督・脚本をこなしつつ主演もつとめて。 

デビュー作から成功して、その後もコンスタントに印象に残る作品を撮り続けて、映画祭でも評価され、何もかもが順風満帆ですごいなって思ってました。 

だけどこの映画を観たら、最初は資金不足に陥りアパートを売り払ったり、配給契約も解除されたりして苦労していたことが分かった。どうにか作品を作ってカンヌへの出品が決まったことから道が開けていったようだ。

それに映画学校に入れたわけでもなく、映画を観て独学で映画の手法を自分のものにしていったようです。

確かに上記の2作を観たときに、才能に感動もしたけど、同時にただの才能だけじゃなくて、努力して培った形跡を作品から感じ取れたんですよね。この人は様々なジャンルの良いものに触れて自分の美意識を磨いてきたんだなってすごく思った。そして描きたいものがはっきりしていて、若くしてそれを形にして成功させたことこそが彼の稀有な才能だと思いました。

本作ではドランが作品を作るうえで影響を受けた映画として、ウォン・カーウァイの『花様年華』や、ある有名な大作映画について話しています。これがちょっと意外な作品でなるほどと面白かった。

『Mommy/マミー』の画面サイズの話も興味深かったです。

インタビューには今まであまり目を通してこなかったんで、既出の話もきっとあるかもしれないですが。

あと出演者が語るグザヴィエ・ドランも結構たくさん入ってます。欲を言えば、『たかが世界の終わり』についてのドラン自身の話がもっと聞きたかったな。

 

現時点では、配信だとU-NEXTだけ見放題対象作品になってたので、無料トライアルで観れました。

U-NEXT

 

『マザー!』感想~やっぱりアロノフスキーは好きになれなかった

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(C)2017, 2018 Paramount Pictures.

ダーレン・アロノフスキー監督作『マザー!』を鑑賞。

ジェニファー・ローレンスが好きなのと、日本公開中止になった問題作とか聞けば逆に気になってしまうもので、鑑賞に至る。

 

作品情報

Mother!/2017年製作/121分/アメリ

監督・脚本:ダーレン・アロノフスキー

出演:ジェニファー・ローレンスハビエル・バルデムエド・ハリスミシェル・ファイファー

 

あらすじ

郊外にある一軒家。妊婦の妻と夫が穏やかな暮らしを送っていた夜、家に不審な訪問者が訪れる。翌日も次々と現れる謎の訪問者たち。妻は不安と恐怖を募らせる中、夫はそんな怪しげな連中を快く招き入れてしまう。
しかし、訪問者たちの行動は次第にエスカレートし、常軌を逸した事件が起こり…。

公式サイトより引用

 

感想(ネタバレあり) 

聖書をメタファーにした映画です。

私はキリスト教に詳しくないので、そのことに気付くのがかなり後のほうでしたが、鑑賞後、ググって一番最初に出てきたサイトに旧約聖書新約聖書の物語がこの映画にあてはめられているということが分かって参考になりました。

エド・ハリスミシェル・ファイファーはアダムとイブでその息子たちはカインとアベルだったのだな、とか。

詩人の夫と、彼の妻が暮らす家に闖入者たちがワラワラと群れ集まってくる様子は、不条理な悪夢のようで、妻のジェニファー・ローレンスに感情移入しながら楽しく観れました。

まるで親の出掛けた日にティーンエイジャーの催すパーティーのような、支離滅裂さ。勝手に部屋にズカズカ入っていくわ、物を壊すわ、とにかく大人がやるもんじゃないw

そんな彼らを寛大に受け入れながら、自分は後片付けなんて何もしない夫のハビエル・バルデムジェニファー・ローレンスがとにかく可哀そうでしょうがない。

かましいうえに話の通じない人たちが我が家に押しかけてくるという地獄はなかなか見れない面白い画でした。

そこからさらにエスカレートしていき、家のなかは詩人の夫(神)のファンたち(信者)でごった返し、迫害と暴力と戦争が入り混じったカオスへと突入。そこで赤ちゃんが殺されてしまい、最終的にジェニファー・ローレンスは家を焼き、夫に心臓を捧げて亡くなります。

妻のジェニファー・ローレンスのメタファーは<母なる大地>であったわけですが、だいぶ無理したなという印象。人に母なる大地の役割を託すわけですからね。メタファーによって構成される映画ってあるけど、こんなにもメタファーメタファーした映画もめずらしいのではないかと思います。

キリスト教批判の映画、男女観の映画、皮肉映画、壮大なコントなどなど、色んな見方が可能な映画です。

監督本人は、環境問題を提起した映画というようなことを言ってるみたいだけど、なんかこの監督が言うと嘘っぽいw ダーレン・アロノフスキー今敏監督のアニメからの盗用を認めなかった過去があるので、人として信頼できないとこがあります。(好きだから使ったって素直に言えばいいのに)

 

観終わっての感想は、なんだかなあという感じで、自分でもどのように言えばいいのか分かりません。もちろん上に書いてるように引き込まれた部分はあるんですが、ダーレン・アロノフスキー監督の作品ってどうも好きになれないんですよね。

胸糞映画を作る監督としてよく言われていますが、胸糞映画だから苦手だとかそういうわけではないんです。 同じく胸糞映画監督扱いされているラース・フォン・トリアーの作品は大好きなんですよ。

ブラック・スワン』が特に色々とイラっときた映画だったんですけど、この監督って何か露悪的なものばかりが際立ってると思うんですよね。『ブラック・スワン』はそもそもあんな主人公が白鳥の湖で人を本当に感動させる踊りなんかできないよって思うし、もうすべてがコントとして作ってるようにしか見えない。この映画も監督の戯事にしか見えない部分を感じてしまうんですよね。

もう端的に言えば性に合わないってことだと思うんだけど、自分のなかでも嫌な部分が上手く説明できないからもどかしい。

自分が女だから感じる嫌な部分もあるのかもしれないけど。なんか嫌な軽薄な男だなって思えてしょうがないんですよw

こんな感じで自分でも分かってないから感想書くかどうかも迷ったけどとりあえず殴り書きました。もうちょっと自分のなかで何が苦手なのかを整理したい。

『クワイエット・プレイス』感想~ツッコミどころ満載ホラー

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(C)2018 Paramount Pictures. All rights reserved.

常日頃から、ツッコミどころのある映画もスルーして楽しめるタイプの人間だと自分のことを思っていました。むしろ、やたらと映画のツッコミどころに厳しい人に対して「そんなに気にしすぎず楽しめばいいのに~」なんて思っていました。

そんな人間が、はぁ???えぇぇ???を繰り返した映画、『クワイエット・プレイス』。もはや黙ってなんかイラレナイ、ツッコマズニハイラレナイ、この胸のモヤ・モヤを、いま、解き放つ――

 

作品情報

A Quiet Place/2018年製作/90分/アメリ
監督・脚本:ジョン・クラシンスキー
出演:エミリー・ブラント、ジョン・クラシンスキー、ミリセント・シモンズ、ノア・ジュープ他

 

あらすじ

音に反応し人間を襲う“何か”によって荒廃した世界で、生き残った1組の家族がいた。その“何か”は、呼吸の音さえ逃さない。誰かが一瞬でも音を立てると、即死する。手話を使い、裸足で歩き、道には砂を敷き詰め、静寂と共に暮らすイヴリン&リーの夫婦と子供たちだが、なんとイヴリンは出産を目前に控えているのであった。果たして彼らは、無事最後まで沈黙を貫けるのか─。

公式サイトより引用

 

感想 (ネタバレあり)

簡単に言えば、「音に反応するクリーチャーvs素人一家」な話です。 

とにかく、音を立ててはいけない。音を立てたらやつらがやってきて刈り殺される。そのルールは冒頭の次男の犠牲によって説明されます。そこで「なんだよそれ、なんで音に反応するんだよ」とか、こういう映画に理由を求めるほどの野暮ではありません。なるほどそういう設定の映画ねってことで、普通に映画のなかには入っていけるんです。

クリーチャーの襲来によって人の少なくなった地球で主人公一家が生き延びてる理由も、耳が聞こえない長女が居て元々家族みんなが手話を使えるからってのも何となく伺えます。

そんな一家が暮らすのは広い農園のなかにある一軒家。

次男が殺されてから数年後、母イヴリン(エミリー・ブラント)のお腹には新たな命が宿っています。宿って、い…る…!?

はい、ここ。出ました。

なんで音を立てたらダメな世界で、赤ちゃん作った?!

え?赤ちゃんってめっちゃ泣くよね?

…ちょっと驚きましたが、まあ、人間の本能には誰も抗えないし、それは人の営みとしてしょうがないことだと理解しました。次男を失ってるし、その喪失感を埋めるために子供が欲しいと思ったのかもしれないし。何かしら考えがあるのだろうとここはとりあえずそこまで気にしませんでした。

そして、子供たちがすごろくをして静かに遊ぶシーン。弟のほうが、不用意にもランプを倒してしまい、ガシャーンと大きな音が。

「やばい!やつらが来る!」

…しかし、来ず。

屋根の上でガサゴソと音がするから来たかと思いきや、ちっちゃい動物たちのいたずらする音でした。やつは来ませんでした。結構なデカい音だったんですけどねぇ。この音がオッケーなら、別に終始手話で通さなくても、家の中なら小声で喋ることも可能なのでは?と頭に疑問が浮かんできます。

しかもちっちゃい動物たちはそのあとに、人知れず外でやつに殺されてしまいます。どないやねんと。屋根の上で音立ててるときにはキミ来なかったやんと。

もうこの辺からクリーチャーたちの反応する音の大きさの定義がまったく分からず、モヤモヤが溜まっていきます。

 

そして、父と長男が川へ釣りにいき、母と長女が家でお留守番をするある一日。 

食料を確保するためには、危険な外界にも出て行かなければなりません。川に仕掛けておいた網に引っかかった魚が暴れて、長男は警戒します。

そこで父の一言。

「川の音が大きいから大丈夫だ」

どうやら、ゴウゴウと流れる川の音より小さい音なら大丈夫なようです。その後二人で滝のそばにいってフォー↑と叫びます。自然の音がかき消してくれるから大丈夫。そして自然の音にはクリーチャーたちは反応しないようです。

…そしたら、川の近くに暮らせば良いのでは?

それが難しいなら、自然の音が家のそばで流れるように工夫すれば良いのでは?

疑問があとを絶ちません。。

帰り道には人が住んでるらしい家を見つけますが、その家の老婦人がやつに殺されているのを発見。その姿を見た夫であろうおじいさんは、二人の前で大声をあげて自らやつをおびき寄せて自殺してしまいます。ここのシーンもちょっと分かりにくい。一瞬おじいさんが老婦人を殺したのかと思わせるような佇まいがおじいさんにあるんですよね。こういう映画によくある、異常な環境下でおかしくなった人間が人間を襲うっていうパターンも描かれるのか~と一瞬期待してしまいました。

一方その頃、家では母イヴリンが予定日よりも早く破水してしまいますが、娘は外に出ていて、助けてくれる人が誰も居ません。さらに、階段から飛び出た釘を素足で踏んでしまうという地獄の試練が。ここで声と音を出してしまい、やつらをおびき寄せてしまいます。

階段から釘が飛び出てるのは執拗に映し出されていてフラグは立っていたので、うお、このタイミングか!っていう二重三重の追い詰め方があったのは良かったんですが、そのあとも釘を直さず飛び出たままにしていたのが気になってしょうがなかったです。

しかもその釘をまだ意味ありげに映すものだから、このあとまたこの釘で何かあるのか?って思わされる。まさかクリーチャーが踏んで「ぎゃぁああぁあぁぁぁ」ってなるコントみたいなシーンが見れるのか?とアホな想像までしてしまった。それなのに、結局最後まで再びの釘ぶっ刺さりシーンなどは登場せず、なんでこうも無駄に思わせぶりなのかと問いただしたい気持ちでいっぱいになりました。

そのあとも、帰ってきた父や子供たちのそれぞれのクリーチャーたちとの攻防シーンが繰り広げられるわけですが、先に書いたように彼らの反応する音の定義が不明だから、まったく緊張感がないんです。子供たちなんか結構平気で音立ててるのに全然反応しなかったり、そう思えば、お父さん音立ててないのに攻撃されたり。もう分からん。私は分からん。

子供たちがとうもろこしの貯蔵庫に落ちて蟻地獄状態になる場面では、弟を助けるためにお姉ちゃんがボードにつかまらせるところとか「タイタニックだ…」って思ったけど、そんなことはどうでもいいんです。

お母さんが一人で赤ちゃんを出産するのに、意外と早く産み落としちゃうこととかも、そんなのは人それぞれだし、早い人も居るだろうってことでどうでもいいんです。(赤ちゃんを産み落とした瞬間の泣き声は一体どうしたんだ??ってことはどうでもよくないけど)

父親が防音ルームっぽいところで普通に話し出すのも別にいいんです。これは赤ちゃんのために作ったのね。最近完成したばかりだから今まではここで話せなかったのかなとか考えられるし、別にいいんです。

書くとキリがないほど気になったことはこまごまとあるんですけど、それはいいんです。

とにかく、この映画で一番問題なのは音の大きさの定義なんですよね。

音に反応して人を襲う怪物を描くうえで、いったいどのくらいの音はセーフで、どのくらいの音からはアウトなのか、これを早めのうちにしっかりと観客に伝えておくことは絶対に必要なことだと思うんですよ。

これをしっかりと提示していないので、荒唐無稽に攻撃してくるクリーチャーと家族の戦いに没入できなくなってしまいます。

この映画がモンスター映画を撮りたかったわけじゃないのは分かるし、こういった状況下での家族の物語を一番に描きたかったのは理解してるんですが、辻褄の合わない設定のせいで、「家族の物語」への気も削いでしまう結果になってしまっていてなんだか勿体ないと思ってしまいました。

 

最後の終わり方は潔くて好きだし、子役含めて役者の演技も良かったなと思います。エミリー・ブラントが好きなんで出てる映画はなるべく観るようにしてるんですけど、今まで他の作品では見たことないような女の顔をしてるのを目にして、さすが本物の旦那だわとも思わされました。その夫婦共演でもあり監督・脚本を務めたジョン・クラシンスキーはきっと才能ある人だと思うんですよ、エミリー・ブラントの旦那だし。

ツッコミどころが気にならなければ楽しめる映画だとは思います。

でも声を出さない映画の割に音楽被せてるシーンが多いのは気になったな。もうちょいピリリとした映画が観たかった。

 

『万引き家族』感想~えらいぞ!祥太

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(C)2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro.

万引き家族』を鑑賞。

是枝監督の作品は2004年の『誰も知らない』しか観たことがなかったことを今知って自分で驚く。話題作も多くて色んな情報が入ってくるので、勝手にもっと観ている気になっていた…。決して避けて通っていたわけではないです。

ということで、感想です。

 

作品情報

製作年:2018年
製作国:日本
上映時間:120分
配給:ギャガ
監督:是枝裕和
出演:リリー・フランキー安藤サクラ樹木希林松岡茉優、城桧吏、佐々木みゆ 他

 

あらすじ

古びた平屋に暮らす5人の貧しい家族。彼らは年金や給料では足りない生活費を万引きで補っていた。ある日、団地の廊下で一人で震えていた少女を連れ帰り、新しい家族として一緒に生活することになるが…。

 

感想(ネタバレあり)

率直に言って、とても良かったです。カンヌでパルムドールを受賞していて、あれだけ色んなところから賞賛されている映画なんで、いまさら感がありますが、それを踏まえた上でも自分の口から良かったと言いたくなるようなところのある映画でした。

社会や本当の家族からつまはじきにされた人達が構成する6人の疑似家族。その暮らしは、利害関係と情で成り立っています。ときに残酷さが見えたかと思いきや、ときに美しい愛情が示され、一言では言い表せない家族の形が見えます。

色々問題ありだけどみんな楽しそうだし幸せそうだな、とか思っていたら、それも本当のものだったのか?と思わせるような事実が明らかになったり、でもやっぱりちゃんと愛はあったというふうにも思えたり。

是枝監督は観客に押しつけず、そこにある事実を提示して観る者に多くをゆだねるスタイルなので、物語に分かりやすく白黒つけないところが良いですね。(もちろん、そこに描かれているものはすべて監督の意図のもとにあるので、少なからず誘導はあると思いますが)

人の行動の意味やそこにある感情は誰にも推し量ることはできないし、表面的に判断することはできない。残酷さの一方で、確かな愛もある。

こういうことは、映画によって学んできたような気がします。良い映画はだいたいそういうことを描いているものが多いので、映画を観て、人間は一面的ではないのだという考えが叩き込まれるのでしょう。

本作では、各キャラクターにそれぞれラストシーンが用意されているんですが、色々あったけどそこにあるものがすべてだなと思いました。この登場人物たちは、楽しかった思い出や、確実にあったはずの愛情に目を背けずに心で感じていることが素敵でした。

そして是枝監督は、役者を自然に撮るのが本当に上手い人ですね。演出の自然さと言ったほうがいいのか。

安藤サクラなんて、ほんとにこの世に存在する人にしか思えない。今までの人生で絶対どっかで出会ったことのある人だわあの人。お客さんのポッケに入ってたものをくすねたときの感じとか、ああ、こういうタイプの人は絶対こういう顔してこういう仕草するよねっていうのがよく出てた。『百円の恋』を観たときも感動したけど、本当にすごい女優だわ。

言わずもがな、子供たちも素晴らしかった。

城桧吏くんが演じた祥太は、自分の判断であの生活を終わらせて、本当に賢くて勇気のある子だと思った。幼い子供は親(大人)が言うことはすべて正しいと思っているもの。でもだんだんと成長してくると「あ、親(大人)って思っていたほど完璧じゃないんだ」っていうことに気付いてくる。そして「間違っている」と自分で感じ始めると子供はその生活下に居るのが本当にしんどくなってくるものだと思います。子供は大人が思っているより敏感に色んなことに気付くし、不安定な状態には焦燥感を募らせる。そこで生活する苦しさと言ったら…。でもこの祥太くんはそれを自分の判断で打破したところが偉いしかっこいい子だと思いました。しかもりんちゃんのために。良い子すぎる。

是枝監督の作品、もっと観よ。

 

『U・ボート』感想~潜水艦ものの名作

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(C)1981 Barvaria Film GmbH, (C)1996 Barvaria Film GmbH

いつか観ようとずっと思っていた、潜水艦もの戦争映画の金字塔『U・ボート』(1981)をついに鑑賞しました。

観れるのが長尺のディレクターズ・カット版だけという状態だったので、時間を作る必要がありました。その長さ、3時間28分。(ちなみに当時の劇場版は2時間15分)

正直、感想を書くのに時間がかかってしまうタイプなので、映画の長さもなるべく短いほうが助かるんですが、そんなことで良いのかと自分に問いただし、腰を据えて観ることを決意しました。

では、3時間半を観終わっての感想です。

 

作品情報

原題:Das Boot
製作年:1997年(ディレクターズ・カット版)
製作国:西ドイツ
上映時間:208分
配給:角川書店
監督・脚本:ウォルフガング・ペーターゼン
出演:ユルゲン・プロフノウ、ヘルバート・グリューネマイヤー、クラウス・ヴェンネマン他

 

あらすじ

1941年、ナチス・ドイツの占領下にある港町から、ドイツ軍の若き乗組員を乗せた1隻のUボートが出航する。与えられた任務を遂行するため、狭い艦内で身を寄せる彼らには過酷な試練が待っていた――。

 

感想(ネタバレあり)

3時間半があっという間だった!とはさすがにならなかったけど、非常に見応えのある映画でした。

潜水艦という密閉空間のなかでの人間ドラマや戦いが描かれるけど、ドラマにも寄りすぎず、戦いにも寄りすぎず、とにかく潜水艦のなかで起こることを映しだすという無骨な作品。最近では、なかなかお目にかかれないタイプの映画ですね。

戦車映画『フューリー』を観たときにも思ったけど、こういう密閉された外からは窺い知ることができない乗り物の中の様子や戦い方を知れるのはやっぱり面白いです。

潜水艦内を舞台にした映画は『レッド・オクトーバーを追え!』くらいしか多分ちゃんと観たことなかったので余計に。ここまで潜水艦というものを描いた作品って他にないんじゃないだろうかと思うくらい、潜水艦映画です。

縦長空間な艦内はちょっとしたアスレチックみたいで楽しそうだけど、まあ実際に乗れば楽しいのは最初だけで、日が増すごとに乗組員たちは狭くて暗い艦内で疲弊していきます。

敵の船ともなかなか遭遇できず、ちゃんとした戦いが始まるのは映画がスタートしてかなり時間が経ってから。始まったら始まったで、その戦いは驚くほど地味です(笑)。とにかく耳をすまして音で状況を判断するという極めて繊細な攻防。乗組員たちは、敵船がどこに居るかも、魚雷が当たったかどうかも、すべて音で判断してます。一応、観てる人向けに魚雷映像や爆発映像も挿入されてますが、それも必要最小限。めちゃくちゃストイックな映画です。

味方の潜水艦を海上で見つけて「お~い」と嬉しそうに手を振るシーンがほのぼのしましたが、そのあと艦内に戻ってすぐに「なんで近くに2隻もいるんだ!」「広い海でなんで味方同士がかたまってるんだ!」って艦長がいきなり怒りだして豹変したのはちょっと面白かったですw

長い航海で心身ともに疲労して、敵からの攻撃も受けて、だんだんと乗組員の情緒が不安定になっていく様子がよく描かれていました。

艦長と機関長は経験豊富な渋いおじさんといった具合でしたが、それ以外はみんな20代くらいの若者たち。

いったんスペインの港に寄ることになり、そこに停泊しているドイツ軍の高官たちの豪華船に、士官たちが招待される場面があります。そこには美味しそうな食べ物が並び、呑気に戦果を尋ねてくる高官たちは潜水艦内の過酷さは知ったこっちゃありません。

暗くて狭い艦内でボロボロになり、終わらぬ任務に途方に暮れている若い乗組員たちはその場所に入れさせてすらもらえません。この対比が戦争というものをよく表してました。

アメリカ映画だとドイツ軍は冷徹無比に描かれることが多いですが、実際に現場にいる人たちの無常さやただただ早く帰りたいという感情がこの映画では描かれています。そこに説得力があるのは、時間をかけて艦内の日々を映し出した無骨な映画だからこそだろうなと感じました。

ラストには非情な運命が描かれますが、ドイツ軍の戦争の行く末を暗示するようなものになっていて素晴らしかった。 乗組員たちに感情移入している身としては悲しかったけど、映画の終わり方としてはこれ以上ない終わり方だと思いました。

長い映画だったけど、やっぱり観て良かったです。

 

 

『gifted/ギフテッド』感想~天才少女の教育をめぐるお話

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(C)2017 Twentieth Century Fox

(500)日のサマー』のマーク・ウェブ監督作『gifted/ギフテッド』を鑑賞しました。

 

 

作品情報

原題:Gifted
製作年:2017年
製作国:アメリ
上映時間:101分
配給:FOX
監督:マーク・ウェブ
出演:クリス・エヴァンス、マッケナ・グレイス、リンゼイ・ダンカン他

 

あらすじ

フロリダの海辺の街で、ボートの修理をして生計を立てている独り身のフランク。彼は、天才数学者だったが志半ばで自殺してしまった姉の一人娘、メアリーを養っている。彼女は、先天的な数学の天才児“ギフテッド”であり、周りは特別な教育を受けることを勧めるが、フランクは「メアリーを普通に育てる」という姉との約束を守っていた。しかし、天才児にはそれ相応の教育を望むフランクの母イブリンが現れ、フランクとメアリーの仲を裂く親権問題にまで発展していく——。
公式サイトより引用http://www.foxmovies-jp.com/gifted/

 

ギフテッドとは

タイトルにもなっている「gifted」は日本語で「優れた才能のある」とか「ずばぬけた知能を持つ 」という意味になるそうで、この映画に出てくる天才少女メアリーのように、生まれつきIQが高い人や特別な才能を持った人を指す場合に実際に使われている言葉らしいです。

私は勉強不足で知らなかったけど、日本でも「ギフテッド」という言葉は英語と同じ意味で使われているよう。飛び級制度のあるアメリカと違って、日本は同じ教育を積ませることに重きを置く教育法をとってますが、個人の才能を伸ばすという意味では議論の余地ありでずっと来ています。

ちなみに2017年から日本で初の「ギフテッド教育」なるものが渋谷区でスタートしたそうで、もしかしたら今後近いうちに日本の教育も大きな変化が訪れるかもしれないですね。

なんて、今まで教育について大して考えたことなかったくせに言ってみました。

 

感想(ネタバレなし)

話の構造は『I am Sam アイ・アム・サム』とほぼ同じ

この映画は、天才数学者だった母親を自殺で失ったギフテッドの少女メアリーの親権をめぐる話になります。

母親から自殺前にメアリーを託されたのがクリス・エヴァンス演じるフランクという男で、メアリーにとっては叔父にあたる人。彼女が幼いころから男手ひとつで育ててきた父親みたいな存在(ちなみに本当の父親はメアリーが生まれる前に別れてて不在)。姉の意志を継ぎ、メアリーには普通の子供たちと一緒に普通に授業を受けて普通に生活してほしいと、彼女を公立小学校に通わせます。

そしてそこに現れたのがイヴリンという、勉強原理主義者みたいなメアリーの祖母。天才の孫を英才教育させるために連れて行こうとします。ちなみにこの人自身もケンブリッジ大学を出ていて頭が良い人です。

この親子2人によるメアリーちゃんをめぐる法廷での親権争いなどが進んでいき、メアリーちゃんの幸せとは?というのがテーマになっていく作品。

役の設定は違えど、ほぼほぼ『I am Sam アイ・アム・サム』でした。

I am Samのほうは、主人公が知能指数の低い大人の男性で、隣人に助けてもらいながら一人娘を育てていたが、彼にはこれ以上育てられないとしてソーシャルワーカーに引き離されそうになり、法廷で戦うといった話。そのなかで、娘の本当の幸せとは何かが描かれていきます。

物語の構造が似てるから、アイ・アム・サムでもあったなっていうようなシーンが結構散見されて、もうちょっとどうにかできなかったのかなというのが惜しいところでした。

天才少女メアリーちゃん 

母親が数学の天才でしたが、メアリーちゃんも数学の天才で、母親の解けなかったミレニアム懸賞問題を解くことを祖母から期待されます。

ちなみにミレニアム懸賞問題とは、2000年に発表された100万ドルの懸賞金がかけられた実際にある7つの問題のことらしい。で、そのうちの一つは解決済らしい。まあ、一応7つの問題をWikipediaでちらっと見てみたけど何を言ってるのかさっぱりだった。問題の文章が本当に1ミリも分からない…

そしてメアリーの母親は物語上、自ら命を絶ってしまってますが、科学的には証明されていないものの、実際にもギフテッドの人は鬱になりやすかったり自殺する人が多いと言われているようです。まあ科学的に証明されていない以上テキトーなことは言えないけど、そのへんのことも物語に反映されてるのかもしれない。

自殺とまではいかないまでも、なかなか周囲から理解されなかったり、本人以外には分かりにくい苦労があるだろうことは映画を観ても容易に想像できますね。

でも同時に普通の子供っぽいところもあるのも映画のなかで描かれてました。

基本、眉間にしわが寄ってる怒り顔なんだけど、笑ったらかわいいし、ひねくれ者の大人みたいなところと子供っぽさが共存しているメアリーをマッケナ・グレイスちゃんが上手く演じてました。天才子役と呼ばれてるところがI am Samのダコタ・ファニングともまた被ってしまうんだけど。(しつこい)

物語は、ちょっと予想しなかった事実も明らかになったりして、そこが結構グサッときました。