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『クワイエット・プレイス』感想~ツッコミどころ満載ホラー

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(C)2018 Paramount Pictures. All rights reserved.

常日頃から、ツッコミどころのある映画もスルーして楽しめるタイプの人間だと自分のことを思っていました。むしろ、やたらと映画のツッコミどころに厳しい人に対して「そんなに気にしすぎず楽しめばいいのに~」なんて思っていました。

そんな人間が、はぁ???えぇぇ???を繰り返した映画、『クワイエット・プレイス』。もはや黙ってなんかイラレナイ、ツッコマズニハイラレナイ、この胸のモヤ・モヤを、いま、解き放つ――

 

作品情報

A Quiet Place/2018年製作/90分/アメリ
監督・脚本:ジョン・クラシンスキー
出演:エミリー・ブラント、ジョン・クラシンスキー、ミリセント・シモンズ、ノア・ジュープ他

 

あらすじ

音に反応し人間を襲う“何か”によって荒廃した世界で、生き残った1組の家族がいた。その“何か”は、呼吸の音さえ逃さない。誰かが一瞬でも音を立てると、即死する。手話を使い、裸足で歩き、道には砂を敷き詰め、静寂と共に暮らすイヴリン&リーの夫婦と子供たちだが、なんとイヴリンは出産を目前に控えているのであった。果たして彼らは、無事最後まで沈黙を貫けるのか─。

公式サイトより引用

 

感想 (ネタバレあり)

簡単に言えば、「音に反応するクリーチャーvs素人一家」な話です。 

とにかく、音を立ててはいけない。音を立てたらやつらがやってきて刈り殺される。そのルールは冒頭の次男の犠牲によって説明されます。そこで「なんだよそれ、なんで音に反応するんだよ」とか、こういう映画に理由を求めるほどの野暮ではありません。なるほどそういう設定の映画ねってことで、普通に映画のなかには入っていけるんです。

クリーチャーの襲来によって人の少なくなった地球で主人公一家が生き延びてる理由も、耳が聞こえない長女が居て元々家族みんなが手話を使えるからってのも何となく伺えます。

そんな一家が暮らすのは広い農園のなかにある一軒家。

次男が殺されてから数年後、母イヴリン(エミリー・ブラント)のお腹には新たな命が宿っています。宿って、い…る…!?

はい、ここ。出ました。

なんで音を立てたらダメな世界で、赤ちゃん作った?!

え?赤ちゃんってめっちゃ泣くよね?

…ちょっと驚きましたが、まあ、人間の本能には誰も抗えないし、それは人の営みとしてしょうがないことだと理解しました。次男を失ってるし、その喪失感を埋めるために子供が欲しいと思ったのかもしれないし。何かしら考えがあるのだろうとここはとりあえずそこまで気にしませんでした。

そして、子供たちがすごろくをして静かに遊ぶシーン。弟のほうが、不用意にもランプを倒してしまい、ガシャーンと大きな音が。

「やばい!やつらが来る!」

…しかし、来ず。

屋根の上でガサゴソと音がするから来たかと思いきや、ちっちゃい動物たちのいたずらする音でした。やつは来ませんでした。結構なデカい音だったんですけどねぇ。この音がオッケーなら、別に終始手話で通さなくても、家の中なら小声で喋ることも可能なのでは?と頭に疑問が浮かんできます。

しかもちっちゃい動物たちはそのあとに、人知れず外でやつに殺されてしまいます。どないやねんと。屋根の上で音立ててるときにはキミ来なかったやんと。

もうこの辺からクリーチャーたちの反応する音の大きさの定義がまったく分からず、モヤモヤが溜まっていきます。

 

そして、父と長男が川へ釣りにいき、母と長女が家でお留守番をするある一日。 

食料を確保するためには、危険な外界にも出て行かなければなりません。川に仕掛けておいた網に引っかかった魚が暴れて、長男は警戒します。

そこで父の一言。

「川の音が大きいから大丈夫だ」

どうやら、ゴウゴウと流れる川の音より小さい音なら大丈夫なようです。その後二人で滝のそばにいってフォー↑と叫びます。自然の音がかき消してくれるから大丈夫。そして自然の音にはクリーチャーたちは反応しないようです。

…そしたら、川の近くに暮らせば良いのでは?

それが難しいなら、自然の音が家のそばで流れるように工夫すれば良いのでは?

疑問があとを絶ちません。。

帰り道には人が住んでるらしい家を見つけますが、その家の老婦人がやつに殺されているのを発見。その姿を見た夫であろうおじいさんは、二人の前で大声をあげて自らやつをおびき寄せて自殺してしまいます。ここのシーンもちょっと分かりにくい。一瞬おじいさんが老婦人を殺したのかと思わせるような佇まいがおじいさんにあるんですよね。こういう映画によくある、異常な環境下でおかしくなった人間が人間を襲うっていうパターンも描かれるのか~と一瞬期待してしまいました。

一方その頃、家では母イヴリンが予定日よりも早く破水してしまいますが、娘は外に出ていて、助けてくれる人が誰も居ません。さらに、階段から飛び出た釘を素足で踏んでしまうという地獄の試練が。ここで声と音を出してしまい、やつらをおびき寄せてしまいます。

階段から釘が飛び出てるのは執拗に映し出されていてフラグは立っていたので、うお、このタイミングか!っていう二重三重の追い詰め方があったのは良かったんですが、そのあとも釘を直さず飛び出たままにしていたのが気になってしょうがなかったです。

しかもその釘をまだ意味ありげに映すものだから、このあとまたこの釘で何かあるのか?って思わされる。まさかクリーチャーが踏んで「ぎゃぁああぁあぁぁぁ」ってなるコントみたいなシーンが見れるのか?とアホな想像までしてしまった。それなのに、結局最後まで再びの釘ぶっ刺さりシーンなどは登場せず、なんでこうも無駄に思わせぶりなのかと問いただしたい気持ちでいっぱいになりました。

そのあとも、帰ってきた父や子供たちのそれぞれのクリーチャーたちとの攻防シーンが繰り広げられるわけですが、先に書いたように彼らの反応する音の定義が不明だから、まったく緊張感がないんです。子供たちなんか結構平気で音立ててるのに全然反応しなかったり、そう思えば、お父さん音立ててないのに攻撃されたり。もう分からん。私は分からん。

子供たちがとうもろこしの貯蔵庫に落ちて蟻地獄状態になる場面では、弟を助けるためにお姉ちゃんがボードにつかまらせるところとか「タイタニックだ…」って思ったけど、そんなことはどうでもいいんです。

お母さんが一人で赤ちゃんを出産するのに、意外と早く産み落としちゃうこととかも、そんなのは人それぞれだし、早い人も居るだろうってことでどうでもいいんです。(赤ちゃんを産み落とした瞬間の泣き声は一体どうしたんだ??ってことはどうでもよくないけど)

父親が防音ルームっぽいところで普通に話し出すのも別にいいんです。これは赤ちゃんのために作ったのね。最近完成したばかりだから今まではここで話せなかったのかなとか考えられるし、別にいいんです。

書くとキリがないほど気になったことはこまごまとあるんですけど、それはいいんです。

とにかく、この映画で一番問題なのは音の大きさの定義なんですよね。

音に反応して人を襲う怪物を描くうえで、いったいどのくらいの音はセーフで、どのくらいの音からはアウトなのか、これを早めのうちにしっかりと観客に伝えておくことは絶対に必要なことだと思うんですよ。

これをしっかりと提示していないので、荒唐無稽に攻撃してくるクリーチャーと家族の戦いに没入できなくなってしまいます。

この映画がモンスター映画を撮りたかったわけじゃないのは分かるし、こういった状況下での家族の物語を一番に描きたかったのは理解してるんですが、辻褄の合わない設定のせいで、「家族の物語」への気も削いでしまう結果になってしまっていてなんだか勿体ないと思ってしまいました。

 

最後の終わり方は潔くて好きだし、子役含めて役者の演技も良かったなと思います。エミリー・ブラントが好きなんで出てる映画はなるべく観るようにしてるんですけど、今まで他の作品では見たことないような女の顔をしてるのを目にして、さすが本物の旦那だわとも思わされました。その夫婦共演でもあり監督・脚本を務めたジョン・クラシンスキーはきっと才能ある人だと思うんですよ、エミリー・ブラントの旦那だし。

ツッコミどころが気にならなければ楽しめる映画だとは思います。

でも声を出さない映画の割に音楽被せてるシーンが多いのは気になったな。もうちょいピリリとした映画が観たかった。