『パットン大戦車軍団』感想 生まれる時代を間違えた男の第二次世界大戦
PCが壊れたのでしばらくブログの更新ストップします。起動中にPC本体を床に倒すという阿保をやらかしました…とりあえずこの記事は保存しといて良かった…
第二次世界大戦で活躍したアメリカ軍のジョージ・S・パットン将軍を描いた『パットン大戦車軍団』を鑑賞しました。
アカデミー賞で7部門(作品賞、監督賞、主演男優賞、脚本賞、美術賞、音響賞、編集賞)を受賞した作品。
監督は『猿の惑星』などのフランクリン・J・シャフナーです。
作品概要
Patton/1970年製作/172分/アメリカ
監督:フランクリン・J・シャフナー
脚本:フランシス・フォード・コッポラ、エドマンド・H・ノース
出演:ジョージ・C・スコット、カール・マルデン、マイケル・ストロング、カール・ミヒャエル・フォーグラー他
あらすじ
1943年、アフリカ戦線。ロンメル率いるドイツ軍に惨敗したアメリカ軍を立て直すために呼ばれたのは、戦争を生きがいとする猛将、ジョージ・S・パットン。経験不足の兵士たちに規律を叩き込み、奇襲を仕掛けてくるドイツ軍を迎え撃つ…。ヨーロッパ戦線にまでかけた、パットンのWW2波乱万丈記。
感想
結論から言えば、私はこの映画大好物だったし、パットンという人にも非常に魅力を感じたんですが、鑑賞後ワクワクとレビューサイト等に目を通したら、芳しくない評価も多くて、嘘だろ!?と意外でした。低評価の理由は、主に「邦題から想像したもの(派手な戦争アクション)と違った」や、「パットンという人が好きじゃない」「エピソードの羅列でつまらない」というもの。
かくいう私も、『パットン大戦車軍団』というタイトルに「おいおい、どんな戦車軍団の戦いが見れるんだ」と鼻の穴を広げる勢いで観始めたんですけど、戦闘シーンの見せ場は前半であっさりと終了し、パットンという稀有な将軍個人を描いた作品となっていることが途中で分かりました。
戦争や歴史に疎い私は恥ずかしながらこのジョージ・S・パットンという人を全く知らず。でも、この映画を観て、そりゃ映画化されるのも当然だと言えるくらい面白い人物で、第二次大戦の主役の一人でもあったことが分かりました。この人の映画化権獲ったらそらもう勝ちだわというレベル。その強烈な個性の分、嫌いな人も居るんだろうけど、好き嫌いが分かれる人というのは何にしても魅力的なものを持っていると言えるので、やはり映画のキャラクターとしては最高なのだ。
博学な軍事知識と豪胆な戦い方によって功績を上げる反面、戦争神経症の兵士を手袋で叩いて臆病者だと叱責したり、スピーチでの失言によって祖国のマスコミに叩かれてしまうパットン将軍。それで部隊の指揮を解任されたり謹慎処分みたいな形になってしまうのだけど、戦場を愛し、戦うことを求め続けるパットン将軍は復帰に躍起になり、ヨーロッパ戦線への突入では今までの憂さを晴らすように猛進する。
戦争史が好きで、ナポレオンなどかつての英雄たちや悠久の戦場に思いを馳せ、自らを彼らと重ね合わせるパットン将軍は、ドイツ軍の大尉が形容したようにまさに「化石のようなロマンチックな騎士」なのである。そして彼は武人としての誇りと精神性を詠う抒情詩人でもある。死を前に戦った兵士には敬意を払い額にキスを捧げ、戦いの末の戦場を見渡して「I love it.」と呟くような男だ。古代から続く英雄たちの美しき戦場の夢や、男のロマン、それは20世紀という時代にはもはや過去のものでしかなくなっていた。ヒューマニズム溢れる時代には全くそぐわない男だった。そんな、生まれた時代を間違えた男の相剋の物語に夢中にならないわけがない。
そしてその脚本を書いたのは若き日のフランシス・フォード・コッポラ。並みの脚本家ならただの戦争好きとしてのパットン将軍の話になってもおかしくないと思うが、この2年後に『ゴッドファーザー』のような男の美学が詰まった映画を撮る巨匠コッポラなので、美意識と夢に満ちた男としてパットンという人物を見事に浮き上がらせることに成功している。コッポラだからこそできたキャラクター造形なんじゃないかと。醜聞によって自分のアイデンティティを外から揺るがされそうになったパットンが、教会で神に祈りを捧げ自らの魂を汚されまいとする詩を詠み、そこから兵士たちへのスピーチへ向かう一連の場面がたまらない。自分自身は変えられないし変えたくないが、時代に適応しなければ愛する戦場にも行けないというジレンマ。
そのパットンという男の一番の理解者で、ある意味語り部とも言える男をドイツ軍側に置いている脚本の作りも良い。軍師ロンメルの部下である情報将校、シュタイガー大尉が実際に会ったこともないパットン将軍を見事に形容してくれる。
ドイツ軍と連合国軍の将軍たちの戦いを描いた映画でもあるため、あまり戦争知識のない私からしたら、こういう将軍たちが居たのかーということも知れるし、人間模様も面白かった。連合国軍の中でもイギリスとアメリカの舵の取り合いみたいなのがあったり、米軍の中でも将軍の優劣で一喜一憂したり。
ちなみにヨーロッパ戦線の戦い方の部分で、作中、地図を出しながら作戦を練っている場面もあったりしたけど、いまいち地理関係が分かりにくいため、パソコンで調べながら視聴。便利な時代になったものだ。でもやっぱりこういう映画はちゃんと理解しながら見るとより面白い。
パットンを演じたジョージ・C・スコットを始め、ブラッドリー司令官役のカール・マルデンなど、俳優陣も皆素晴らしかった。ジョージ・C・スコットはニヤッとした笑い方が印象的だな。
ちなみに主演男優賞は受賞拒否したらしいけど、そのアカデミー賞授賞式でその場に居ないジョージ・C・スコットの名前を読み上げるゴールディー・ホーンが可愛かったのでついでに貼っとく。
George C. Scott winning Best Actor for "Patton"
『パットン大戦車軍団』という邦題から最初に連想した映画とは全然違ったけど、厳しい気候に耐えながら何百キロという長距離を短時間で突き進むパットン指揮下の部隊は本当に凄いと思うので、もう大戦車軍団で相違ないと思いました。3時間弱の映画だけど全く長さを感じなかった。パットンみたいな人を見ると愛おしくなる。
『きっと、うまくいく』感想 尻上がりに輝き始める映画
2013年公開のコメディドラマ『きっと、うまくいく』を鑑賞。
公開当時、周囲から良かったよとオススメされていたのにも関わらず、 インド映画に対する食わず嫌いでここまで先延ばしになっておりました。視聴前に2時間50分という長さであることを知り、また一瞬躊躇しましたが、どうにか視聴スタート。(そんななら観るなよという感じですが)
では、感想です。
作品概要
3 Idiots/2009年製作/170分/インド
監督:ラージクマール・ヒラニ
出演:アーミル・カーン、カリーナ・カプール、R・マドハヴァン、シャルマン・ジョシ他
あらすじ
超難関の名門工科大ICEに入学したファランとラージューは、そこで超天才の自由人ランチョーと出会う。彼らは、一緒にバカ騒ぎを繰り返しては鬼学長の怒りを買い、いつしか“3バカ”として札付きの問題学生となっていく。そんな中、ランチョーは天敵である学長の娘ピアと恋に落ちるが…。時は流れ、3人が卒業してから10年後。ファランとラージューは、行方知れずのランチョーの消息を知っているというかつての同級生と再会する。そして彼とともにランチョーを探す旅に出るのだが…。
allcinemaより引用
感想
名門工科大生の大学生活というものには興味を惹かれるも、ベタな笑いてんこ盛りな内容に、最初は正直、「このノリがあと2時間以上も続くのかあ…」とちょっと辟易していました。やっぱり普通に挿入されてくるミュージカルパートも、死んだ目で眺めるという始末。学歴社会の圧迫による学生の自殺という社会問題も描かれますが、やはりその後もノリは変わらず、主人公たちのイタズラがベタな笑いを交えて繰り返されるので、長さを感じてしまいます。
ところが、次第にこの映画のベタな明るさが、人生の苦味や苦しみを生き抜くための明るさなのだということが分かってきて、そこから途端に映画が輝き出す。自殺未遂で全身麻痺となったラージューに、ポジティブな嘘を並べ立て、明るく励ますシーンが泣ける。本作の苦味を含めた明るさに、今の社会を本当に変えたいという気持ちが伝わってくるのだ。
子供たちにプレッシャーをかけ、苦しみを生む学歴社会の代償に遂げられる国の発展。急速に新興国となったインドという国の社会問題を扱い、インドの裏と表が見えるようです。実際にインドの学生の自殺率は高いらしい。でも、ここまでとは行かずとも日本もこの映画で描かれたような問題は抱えていたりするし、これから先進国へ近づこうとするどの国も経験し得るようなことだよなあと思いました。
同時に、勉強が嫌いで、なるべく楽な道を選び、受験戦争とも無縁だった私みたいなのからしたら、勉強ができるだけうらやまし~って感情もなきにしもあらずw
まあ、それは自業自得として、この映画のランチョーという天才かつ合理的なキャラクターには大いに学びたいものがあった。「機械」とは何か?という教授の問いに、誰もが分かる言葉で説明しようとするも、教科書的な正しさを求める学校の方針とは食い違い、教室を出ていくよう言われてしまう。一旦出て行こうとするランチョーだが、引き戻して教授に難しい言葉でとあるものの説明をする。それは「本」を学術的に説明したものだったが、教授は理解できず「もっと簡単に言え」と怒る。それに対しランチョーは「教授は簡単なのはお嫌いかと思ったので」と皮肉り、他の生徒たちから爆笑を得る。…こういう頭の良いウィットに富んだ皮肉で、上の者に対抗できる人には非常に憧れる。いつかこういうことを言ってみたいものだ。度胸もないとダメだけど。あと同時に「人に分からないと定義もムダだ」というランチョーの考え方も素敵だ。
他にも、制服を着て潜り込めば誰でも授業を受けられるという教えや、名前を覚えられてないことを良いことに、遅れて受け付けてもらえなかったテストの答案を混ぜたりと、知恵を働かせて物事に対処していくランチョー。倫理的にどうなんだって言われればそれまでだけど、ルールに縛られ頭でっかちになりがちな自分は、こういう頭の柔らかさを持った人の考え方は見習いたい。このランチョーという、本当に頭の良い人の柔軟性と合理的な考え方が詰まった映画でもあるので、その点でも楽しむことができました。
それにしてもランチョー役のアーミル・カーンの瞳の色が綺麗だったなあ。
『ポセイドン・アドベンチャー』感想 生き延びるためのシミュレーションをしてみた
1972年のパニック映画『ポセイドン・アドベンチャー』を鑑賞。
豪華客船ポセイドン号の転覆と、限られた者たちの脱出劇を描いた、パニック映画の元祖ともいわれる本作。テレビ放映されたのを一度観たことはあったけど、途中からだったのと昔すぎてほとんど覚えていなかったので観直すことに。 では、感想です。
作品概要
The Poseidon Adventure/1972年製作/117分/アメリカ
監督:ロナルド・ニーム
出演:ジーン・ハックマン、アーネスト・ボーグナイン、レッド・バトンズ、キャロル・リンレー、ロディ・マクドウォール、シェリー・ウィンタース、パメラ・スー・マーティン、ステラ・スティーヴンス他
あらすじ
大晦日の夜、パーティで賑わう豪華客船ポセイドン号を海底地震によって突然発生した大津波が襲った。一瞬の内に船は転覆。生き延びた人々は生存を賭けて、天地が逆転した船内からの脱出に挑む。
allcinemaより引用
感想とシミュレーション(若干ネタバレあり)
やはり今観ても面白い。前半の人間模様などは今回初めて目にし、一人一人にスポットを当てた群像劇チックな作りになっていたことを知る。そして転覆シーンの阿鼻叫喚の地獄絵図が凄まじい。『タイタニック』の転覆シーンがこの映画の影響を受けている(というか参考にしている?)のがよく分かる。ジーン・ハックマンやアーネスト・ボーグナインといった俳優たちによる、それぞれキャラの立った役で脱出劇が進んでいくのも面白い。助かるために諦めずに進んでいくことの大切さも説いている。
こういう映画を観ていると必然的に、自分だったらどうか、と考えながら観てしまうのだけど、私だったら最初の時点で死んでそうなので、この映画から得た学びを活かして、生き延びるため、もしくは足手まといにならないためのシミュレーションをしてみた。
シミュレーション~8つの試練
~私は日本人アラサー女。日頃の疲れを癒す一人旅のため、豪華客船ポセイドンに乗り合わせる~
試練1、船酔い
転覆以前に、まず船酔いという厄介な問題が発生。3D映画も席によって酔ってしまう私には船なぞ到底無理だった(本作の揺れの演出にさえちょっと気持ち悪くなってしまったのだ)。刑事の妻(元娼婦)と同じく、ドクターに薬を処方してもらう。あらかじめ酔い止め薬を飲んでおくことが一番だろう。
試練2、転覆
海底地震で船が転覆。パーティールームが傾斜し、上下逆さまに。人がゴロゴロと落ちていく。ここでもう生死を分ける大惨事なわけだが、この突然の悪夢にも冷静に対応しないといけない。本来の私なら、とにかく物にしがみつこうとするはずだが、どうやらそれはここでは転落事故を生むようだ。傾斜が緩いうちに、コロコロと下まで転がっておくのがベストと見える。上から落ちてくるものから自分を守るため、何かで頭を押さえておくと尚良し。
試練3、上がるか残るかの選択
牧師の言うことを聞き、救出を求めて上まで昇っていくか、それとも乗組員の言うことを聞いて、下に残ったまま助けがくるのをひたすら待つか。which your choice? 「乗組員の言ってることだし、みんなこっち選んでるし…」と残ることを選択しそうだが、牧師の言ってることのほうが説得力がある!確かに下に居たら一番救助が遅いし、死ぬ可能性が高い!理屈で考えることが大切だ。ここはいっちょ賭けにでるか。→上がるほうを選択。クリスマスツリーを使って上がるが、女性陣はドレスが邪魔なので脱ぐ必要があるらしい。めちゃんこ可愛い美脚の少女のあとに足を晒すのはしんどいが、生き延びるためにはしょうがない。
試練4、ダクト突破
換気塔というところに出るために、ダクト内を這って移動。これ一度やりたかったやつだよ! 嬉々としてくぐり抜ける。
試練5、はしご登り
正直ここが一番しんどい。足を踏み外したら終わりだという恐怖。ビビリなため手足が震える。しかも急に振動が来て死人まで出る。動けなくなる歌手ノリーの気持ちがよく分かる。しかし他の人に迷惑はかけたくない。とにかく下を見ずに、気を確かにして上がる。
試練6、待機
牧師が先を見てくるので待機することに。それにしても牧師と刑事の喧嘩が終始うるさい。しかし先頭切って一生懸命やってくれてるので文句は言えない。その辺ブラブラしてて良いよと言われるも、方向音痴なため動かないほうが良いだろう。大人しくその場で待機。
試練7、息止めスイミング
目的地へ向かうには浸水した場所を潜って行く必要が。泳ぎはできるが、息を止めていられるかが心配だ。30数秒くらいと言っていたけど、実際はそれ以上かかってそうだった。いま時計で計ってみたら1分30秒ほど息止めできた。これならギリいけそうだ! 懐中電灯を落とさないように注意して泳ごう。
試練8、蒸気バーン
ここは見守ることしかできない。勇気ある行動に胸を打たれる。亡くなっていった人たちの死を無駄にしないためにも頑張って生き延びねば。
最終地点
救助隊に発見され、無事脱出成功!!!
どうにか、どうにか私はポセイドン号で生き残ることができました!
やりました!やりましたあああ!…
どこかの誰かが言っていた。「映画を観ることとは人生のシミュレーションである」と。
いつ来るか分からぬその日に備え、今日も私は映画から学ぶ―
『リンカーン弁護士』感想 弁護士vs依頼人
マシュー・マコノヒー主演の法廷サスペンス『リンカーン弁護士』。
最近プライムビデオで『TRUE DETECTIVE』の死ぬほどかっこいいマシュー・マコノヒーを見て、めっきりマコノヒーめいているので、未見だった本作を鑑賞しました。では、感想です。
作品概要
The Lincoln Lawyer/2011年製作/119分/PG12/アメリカ
監督:ブラッド・ファーマン
出演:マシュー・マコノヒー、マリサ・トメイ、ライアン・フィリップ、ジョシュ・ルーカス、ジョン・レグイザモ、マイケル・ペーニャ、ブライアン・クランストン、ウィリアム・H・メイシー他
あらすじ
高級車リンカーン・コンチネンタルの後部座席を事務所代わりにLAを忙しく駆け回り、司法取引を最大限に利用して軽い刑で収める得意戦略で依頼人の利益を守るやり手弁護士、ミック・ハラー。ある時、資産家の御曹司ルイスの弁護というおいしい話が舞い込む。事件はルイスが女性を殴打し重傷を負わせたとされるもので、いつものように司法取引をまとめるだけで高額の報酬が舞い込むはずだった。ところが頑なに無実を訴えるルイスは司法取引を拒否し、ミックの戦略に狂いが生じ始める。さらにルイスが、4年前にミックの担当した殺人事件の真犯人としても浮上し、次第に自分自身が追い込まれてしまうミックだったが…。
allcinemaより引用
感想(ネタバレあり)
心を掴まれる渋くてイカしたオープニングから始まり、高級車を乗り回す敏腕弁護士が自分の流儀でクールに物事に対処していく痛快な映画かと想像させながら、意外にもしっかりとこの弁護士を追い込んでくれ、その上でスカッとさせてくれる芯のある気持ちの良い映画でした。
無罪を主張する依頼人 → 実は過去に担当した事件の真犯人だった → 今回の件もその依頼人が犯人で、他人に罪を被せようとしている → 真実が分かりながらも弁護士の秘匿特権のせいで言えない → 調査員を殺され自らもその犯人にさせられそうに…
この最悪の依頼人に精神をズタズタにされながらも、そこから一矢報いるためにポーカーフェイスでやり抜く姿がかっこいい。利益のためなら手段を問わない弁護士でありながら、無実の男を誤って監獄へ入れてしまった自分に強い憤りを覚えるあたり、時に凶悪犯の味方として悪人扱いされる弁護士の隠した人間性をつまびらかにしてくれる。
しかもライアン・フィリップ演じる御曹司の依頼人が頭の良いクソ野郎なため、そいつを頭脳戦で打ち負かしてくれるのが気持ちいい。どうだ、頭のキレはこっちのが上だぞ、とマシュー・マコノヒーの代わりにこちらがドヤ顔。世の切れ者は皆このマシュー・マコノヒーみたいな男だったら良いのにと思いました。人を使うのが上手いというのはこういうことなのだなとも思いました。
マシュー・マコノヒーは『評決のとき』(1996年)以来の弁護士役だったのかな。本作とは違って正義感が全面に出た真面目な新米弁護士。最終弁論のシーンが印象的すぎて、マコノヒーといえば長らく『評決のとき』のマシュー・マコノヒー、という感じでした。その後もラブコメとか『サハラ』みたいな映画でプレイボーイな役が多かったけど、2011年の本作あたりから作品選びを方向転換して複雑な役をやるようになり、今ではすっかり名優です。未見のままだったけど、この映画があって良かったなーと思いました。
それから本作の(顔が)濃いキャストの勢揃いっぷりにも注目したい。ジョン・レグイザモとマイケル・ペーニャが一つの同じ映画に出たらもうそれだけで濃いし、調査員にウィリアム・H・メイシーは心強くも濃いし、刑事に『ブレイキング・バッド』などのブライアン・クランストンなんて濃いし、『TRUE DETECTIVE』で牧師の役やってたシェー・ウィガムも濃いし、とにかく顔が強い俳優たちの祭典でした。
ラストまで何故タイトルが『リンカーン弁護士』なのか分からずじまいでしたが、高級車の名前がリンカーンだったのね…。車の知識がないとこういうときに困る。
※ U-NEXT の見放題で鑑賞。(2020年3月31日まで配信予定)
原作はこちら↓
『リヴァプール、最後の恋』感想 ジェイミー・ベルのダンスも見れるよ
『リヴァプール、最後の恋』。
往年のハリウッド女優グロリア・グレアムをアネット・ベニングが演じ、彼女と恋に落ちる若手俳優ピーター・ターナーをジェイミー・ベルが演じた歳の差ラブロマンス。ピーター・ターナー自らによる回顧録を映画化したものらしいです。
では、感想です。
作品概要
Film Stars Don't Die in Liverpool/2017年製作/105分/アメリカ
監督:ポール・マクギガン
出演:アネット・ベニング、ジェイミー・ベル、ジュリー・ウォルターズ、ヴァネッサ・レッドグレーヴ他
あらすじ
1981年9月29日、ピーター・ターナーの元に衝撃の知らせが飛び込んできた。かつての恋人グロリア・グレアムがイギリスのランカスターのホテルで倒れたのだという。
「リヴァプールに行きたい」そう懇願するグロリアに対してピーターはリヴァプールにある自分の実家でグロリアを療養させることにした。ピーターの家族やリヴァプールを懐かしむグロリアだったが、全く病状を明かそうとしない。心配になったピーターは、アメリカの主治医に連絡をとり病状を確かめた。そして、グロリアの死が近いことを悟ったピーターは、不意に彼女と楽しく過ごしていた頃を思い出すのだった。最後までグロリアがリヴァプールに拘り続けた理由とは―
公式サイトより引用
感想
アネット・ベニングとジェイミー・ベルの歳の差恋愛ものだと!?最高ですやん!というテンションで手を伸ばした作品のため、実話をもとにした話だとは全く知らずでした。不勉強ながらグロリア・グレアムという女優さんについても知らず。映画の途中の「彼女オスカーも獲ってるよ」というパブのおじさんの台詞で、「おや?実在した女優の話なのか?」と感じ始め、実際のオスカー受賞シーンでやっとやっぱそうだったのかとなりました。
大女優と若手俳優の恋というと、映画や舞台で共演してロマンスに発展したのかなと思うけど、この二人の場合はアパートのお隣さんだったことがきっかけ。男のほうは駆け出しの舞台俳優で、若いため往年のハリウッド女優である彼女のことは知らなかったけども、同じ俳優同士ということで意気投合して仲良くなっていく。
俳優同士の恋でありながら、誰にでもありそうな普通の出会いなのが良いじゃないですか。こういうの良い。二人とも演じることが好きで、映画や舞台が好きで、その共通点から距離を縮めて恋仲へと発展する。なんだか思惑がなくて良いのだ。
ピーターくんは最初にアパートの管理人から「昔は有名だったけど今は落ち目だ」という話を聞かされていたため、多分逆に彼女と接しやすかったんだと思う。大女優なんて普通気が引けるだろうし。そして、仲良くなってから「彼女オスカー女優だよ」と聞いたときのピーターくんの反応がいい。帰りのバスの中で急に喋らなくなってしまうのが超リアルだ。気後れしてるのか動揺を隠せないのか分からないけど、こういうとき人は無言になってしまうものだよね。で、彼女にどうしたの?って聞かれて、ロバート・レッドフォードを気取ってやり過ごすのもまた憎い。演技好きな俳優同士ならではのやり取りがいっぱいあって二人がかわいく見えるんだよなあ。
そして!グレアムさんの部屋で二人がディスコダンスを踊るシーン!!!
これは全世界の『リトル・ダンサー』好きへのサービスシーンですか!??
かつてバレエ少年ビリー・エリオットを演じたジェイミー・ベルのダンスは今でもやはり流石のキレッキレ。本領発揮をしてるのは短い時間でしたが、そのなかで抜群のリズム感と体のキレとバネを感じさせる動き。こりゃ俳優の動きじゃないぜ。もっと、もっとワシに見せてくれぃ…と思ってしまうのは贅沢なのでしょうか。今のジェイミー・ベルでダンスムービーをどうか。ダンスムービーじゃなくてもダンスが際立つミュージカルとかでも良いので!
嬉しいことにYouTubeにダンスシーンの本編映像がアップされていました。いつでも見れるように貼っときます。
もっと全身を映すのだ全身を!と思ってしまうけど、まあそれはしょうがない。何度もリピートしてて思ったけど、ジェイミー・ベルの息切れの音までしっかり入れてるのは、もしかしたら『リトル・ダンサー』の怒りのダンスシーンのオマージュかもしれない。あれもビリー・エリオットくんの息切れの声が入ってたから。この監督最高じゃないか。
ついついダンスシーンに熱くなってしまいましたが、グロリア・グレアムさんのキャラクターもこの映画の見ものでした。年をとっても愛される女性の秘訣は、いつまでも可愛らしいことなのだろうなと。『20センチュリー・ウーマン』とは180度違うアネット・ベニングの演技に舌を巻く。60歳近くなっても「ロミオとジュリエット」のジュリエット役を真面目に熱望するグレアムさん。冗談で言っているのかと思ったピーターは「乳母じゃなくて?」と笑って返すが、グレアムさんは涙まじりに怒るのです。恋愛対象として見てたピーターくんからお婆さん扱いされた涙でもあり、彼女は永遠の少女なのでした。こういう人が可愛らしいのだということは分かっていても、真似ようと思ってもそうそう真似できないのさ。
映画にも挿入された実際のオスカー受賞シーンもかわいすぎるよね。不思議ちゃんぽい人でもあるのかな。
Gloria Grahame winning Best Supporting Actress
それからグロリア・グレアムさんが病床に伏す話でもあり、それを受け入れるのがピーターくんの実家なのですが、この二人は両親公認の仲だったらしい。普通、自分の息子に親子ほどの歳の離れた恋人(それも女優)を紹介されたら、そう簡単に受け入れられるものではないと思うけど、ピーターくんの両親の寛容さときたら。しかもこれは後で知ったけど母親役をやってたのは『リトル・ダンサー』でバレエの先生を演じたジュリー・ウォルターズだったようで。どれだけ『リトル・ダンサー』好きに目配せしてくれてる映画なのだこの映画は。
監督のポール・マクギガンは、『ギャングスター・ナンバー1』や『ホワイト・ライズ』(仏映画『アパートメント』のリメイク)の人だった。この2作も結構好きだったな。
音楽も良いし、ダンスシーンも良いし、役者も好きな二人の共演で楽しめました。ジェイミー・ベルを見るといつも、あのビリー・エリオットくんが!という感じで親戚のような目線で見てしまうのですが(特に『ニンフォマニアック』は衝撃だった)、もうすっかり素敵な大人の俳優になっている。声や喋り方もかっこいいし、朗読シーンなんかは聞き惚れました。
『マトリックス』感想 今更1作目を初めて鑑賞
今更初めて観ましたシリーズ、前回の『ターミネーター』に続き今回は1999年のSF映画『マトリックス』です。
『ターミネーター』とは違い、『マトリックス』は思春期と言える頃に話題になっていた作品なので、リアルタイムで観る機会はあったのですが、ワイヤーアクションが苦手だったことや、テレビ放映されたときに何故かいつも途中からの鑑賞になってしまい話が分からないので視聴を断念するという感じで、これまで観ずにきました。
しかし、やっぱりこういう未だに言及されることの多い作品は観ておいたほうが周辺の話も楽しめるだろうということで、上映から20年後の今、初鑑賞いたしました。では、感想です。
作品概要
The Matrix/1999年製作/136分/アメリカ
監督・脚本:アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー
出演: キアヌ・リーヴス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モス、ヒューゴ・ウィーヴィング他
あらすじ
凄腕ハッカーのネオは、最近”起きてもまだ夢を見ているような感覚”に悩まされていた。そんなある日、自宅のコンピュータ画面に、不思議なメッセージが届く…。正体不明の美女トリニティーに導かれて、ネオはモーフィアスという男と出会う。そこで見せられた世界の真実とは。やがて、人類の命運をかけた壮絶な戦いが始まる
filmarksより引用
感想(ネタバレあり)
驚いたのはキアヌ・リーヴスの若さと美しさ。初っ端からミーハーな感想で申し訳ないですが、この頃のキアヌってこんなにも若くて綺麗だったっけ? キアヌと言えば『スピード』(1994年)を既に観ていてかっこいい顔だという認識はあったけど、『マトリックス』公開当時にたくさん目にした宣伝では、そんなにその美貌や若さに目が至らなかった。まあ、若さについては今観るから若いと感じる当たり前の現象なんだろうけど(当時ガキだった私には渋い大人のお兄さんでも、今の私には若く見える)、綺麗さには普通にビビる。もしかしたら、宣伝の映像が黒ロングコートのサングラスをかけたアクション場面ばかりでキアヌの美しさが光る場面を見ていなかったから当時は気付かなかったのかもしれない。冒頭らへんで「いつにも増して青白いぞ」と言われていたように、本作での青白いキアヌの美しさにビビらされるのは、青や緑といった寒色系の映像であることも大きい。キアヌの肌の質感に合ってるのだ。
そしてキャリー=アン・モスも同様に滅茶苦茶美しい。クールな美貌だ。映像の質感が二人の美貌を際立たせている。
二人の美しさに驚かされながらも映画は進み、主人公ネオが今まで現実だと思っていた世界は、仮想現実空間だったということが示されていく。当然今まで生きていれば本作を観ていなくても仮想現実を描いた作品だという話を耳にすることが多かったので、そういう映画だっていうことは分かっていた。でも、本当はよく分かっていなかった。今居るところとは別の世界(仮想現実)へ行き、そこで戦うような話だと勝手に思っていたのだが、今まで普通に生きてきた現実が実は仮想現実空間だった、そしてそこから一旦出て、そのうえでその仮想現実空間で戦うという話だったらしい。(←頭が悪いのでこの解釈であってるかの自信もないけど)
実は今まで本作を観てこなかった理由の一つに、SFというジャンルを好んで観るタイプではないからというのもあって、SFオンチな人間なのですが、何故そうなのかというと、非現実的なものにあまり入っていけない、極度に現実性を求めてしまうタイプだからだと自分で分析しています。(ファンタジー映画の苦手さに比べると、SFは起こり得なくもないと考えられるから大の苦手というわけではないけれど)
そんな自分がこの映画を観て思ったのは、結局自分の考え方の問題でもあるんだよな、ということ。きっとSFやファンタジーが好きな人は今の社会や世界とは違うものに思いを馳せることができたり、その別の世界を楽しむことができる人なのだと思う。小さい頃から空想の世界に憧れを抱くという感情が欠落していた私は、ひたすらに現実の社会を映し描き出すものに熱中してきたのですが、それはある意味想像力の乏しさとも言えるのではないか。
この映画が描いたのは、今居る世界が本当ではないという可能性。もしかしたら今私が普通に生活しているこの世界は本当ではなくて、別の可能性があるんじゃないかという考え方。こういうのは哲学チックなものの見方でもあり、想像性があります。真実を求めてモーフィアスに導かれたネオというキャラクターは、今の世界に違和感を持っていて自分で扉を開くことを選択しますが、これは現実社会の話にも置き換えられる話でもある。今の環境や自分に満足していない人間が、自分で自分の運命を決めて今を乗り換える普遍的な話として受け入れることができました。
裏切者のサイファーというキャラクターは、しみったれた本当の世界よりも、理想的で害のない偽物の世界に戻ることを望みますが、このキャラクターが居ることで、ネオとの対比になっていて分かりやすい。このサイファーの気持ちも分かるなあと思いながらも、自分なら本当の世界で生きるほうを選びたいなと考えさせられたりもしました。
「救世主」という人の心にあるヒーロー願望を満足させる導入でありながら、運命は自分で決めるものだというテーマが貫かれていたのも良かった。トリニティのキスでネオが息を吹き返すシーンなんかは興醒めだったというような人も居るようだけど、おとぎ話とは逆の男女の目覚めのキスで面白いし、これはトリニティの思いが物事を動かすという非運命的なものとして描かれていると自分は感じた。あと単純にクールなトリニティのキスシーンだから良い。
アクションシーンに関しては見ていて笑ってしまうものがあるけど、仮想現実という世界だから何もかもオールOKなところがずるい。不可思議な動きをするワイヤーアクションは好きじゃないけど、この映画の場合はそういう世界だからねってことで納得できてしまうのだ。ずるい。しかし、最後のほうのシーンでエージェント・スミスに蹴りを入れたキアヌの蹴り終わった足の処理はあまりにもぎこちなさすぎた。これは流石にいただけなかったw
予告か何かでずっと耳に残っていたエージェント・スミスの「ミスターアンダーソン」は本編で聞いても印象的。あと電話で戻ってくるというのもレトロな感じがして好き。
なんだかんだ、こういう革新的とされるような映画はやっぱり旬な内に見ておくべきだよなと思いました。
U-NEXT の無料トライアルで視聴しました。(2019年10月31日まで配信予定らしい)
『チャイルド44 森に消えた子供たち』感想 トム・ハーディのロシア語なまり英語
少年たちを襲う連続殺人事件と、スターリン支配下のソ連の恐ろしさを描いた映画『チャイルド44 森に消えた子供たち』 を鑑賞しました。
原作は、2009年の『このミステリーがすごい!』で1位に選ばれたトム・ロブ・スミスの『チャイルド44』 というミステリー小説だそうです(未読)。では、感想です。
作品概要
Child 44/2015年製作/137分/アメリカ
監督:ダニエル・エスピノーサ
出演:トム・ハーディ、ゲイリー・オールドマン、ノオミ・ラパス、ジョエル・キナマン他
あらすじ
1953年、スターリン政権下のソ連で、子供たちの変死体が次々と発見される。年齢は9歳から14歳、全裸で胃は摘出され、山間にもかかわらず死因は溺死。だが、“殺人は国家が掲げる思想に反する”ため、すべて事故として処理される。秘密警察の捜査官レオは親友の息子の死をきっかけに、事件解明に乗り出す。捜査が進むほどに、国家に行く手を阻まれ、さらに、愛する妻にも不当な容疑が。真実が容易に歪められるこの国で、レオは真犯人に辿り着けるのか──?
公式サイトより引用
感想
ソ連時代のウクライナやモスクワが舞台だというのに、全編英語で通されるのでその時点でちょっと残念感は出てしまいますが、トム・ハーディが健気にロシア語なまりの英語の役作りをしているので泣けました。昨今はちゃんとその国の俳優を使ってその国の言語で作られる作品が多くなっているので、久しぶりに全編英語で押し通される違和感を味わいどうしても気になってしまった。でも原作がロシアで発禁処分になっているというのでロシア人俳優を使うのも難しかっただろうなとも思う。(この規模の映画で無名のロシア人俳優を使う選択肢はそもそもなかっただろうなとも思うけど)
こういうとき役者はどんな気持ちなのだろうと思ってしまう。ほぼ全員がロシアっぽい感じの喋り方をしていたけど、先に書いたようにトム・ハーディのロシア語なまり英語は徹底されていて、少しでも役にソ連の血を入れようとしている姿勢が見える。私はアレクサンドル・ソクーロフ監督の作品が好きなんでロシア語の独特の喋り方にも愛着があるほうなんですが、聞いてるとちょっと眠くなる感じというか、気だるさと親密さの両方がある感じの特徴をめちゃくちゃ上手く捉えていたと思います。『ブロンソン』とか観ても役作りへの執念を感じたし、さすがの変幻自在俳優ですね。
映画の内容の本題に移ると、スターリン政権下の連続殺人事件ということで、なんだかややこしそうだなと思って今まで視聴に至らなかったわけですが、実際結構ややこしくて特に最初の1時間くらいはなかなか集中できませんでした。
原作も上下巻のミステリーなので、この内容を2時間強の映画にまとめるのにだいぶ苦労したのではないかと思います。ソ連という国はユートピアなんだから、殺人事件なんて起こるわけがないと言って、子供たちの連続殺人が事故として処理されてしまうという、かつてソ連で起こった実際の出来事をベースに書かれたのが原作小説らしいです。
MGB(国家保安省)という秘密警察の捜査官(トム・ハーディ)が、妻のスパイ容疑によって地方の警察官へと格下げされ、殺人事件の捜査をすることになるのですが、スパイ容疑の件と殺人事件の無視という全体主義国家の闇に加えて、当の犯人探しや、ちょっとしたアクション、妻と夫の愛情などなど、とにかく要素が多すぎた。原作は未読なので何とも言えないですが、もう少し要素を削って映画用にスリムに見せてほしかったです。例えば、ジョエル・キナマン演じるワシーリーという体制側の男は、そんなに複雑なキャラクターにせずとも良かったのではないかと。
とにかく色んなもののごった煮が整理されていなかったので、非常に観にくいなという印象が強かった。製作を務めたリドリー・スコットが元々監督する予定だったみたいなので、リドリー・スコット監督版で観てみたかったのが正直なところ。
とはいえ、スターリン政権下のソ連の実情を知れる映画として面白かったので観て損はなかったです。
ラストに体制が変わったのは、本作の時代設定が1953年でスターリンが亡くなった年だったからのようで納得。しかし、殺人犯の衝動を西側諸国の責任にするのは相変わらずで、完全には変わらないところも示されていた。現在のロシアでこの原作が発禁本になっているということも後で効いてくる映画でした。
原作本はこちら↓
- 作者: トム・ロブスミス,Tom Rob Smith,田口俊樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/08/28
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『追想』感想 シアーシャ・ローナン主演、若き新婚夫婦の切ない顛末
ふらっとシアーシャ・ローナンに惹かれて視聴した映画『追想』(2018)。
ほとんど前情報なしで観たのですが、『つぐない』の原作者イアン・マキューアンの『初夜』という小説の映画化で、マキューアン自身が脚本も手掛けているようです。『つぐない』の演技で13歳にしてアカデミー賞助演女優賞にノミネートされたシアーシャ・ローナンなので、この繋がりはなんか良いですね。
作品概要
On Chesil Beach/2018年製作/110分/イギリス
監督:ドミニク・クック
出演:シアーシャ・ローナン、ビリー・ハウル、アンヌ=マリー・ダフ、エイドリアン・スカーボロー、エミリー・ワトソン、サミュエル・ウェスト他
あらすじ
1962年、夏。バイオリニストとしての野心を秘めたフローレンスと歴史学者を目指すエドワード。偶然の出会いをきっかけに一瞬で恋に落ちた2人は、対照的な家庭環境などさまざまな困難を乗り越え、ついに結婚式の日を迎えた。式を終えた2人が新婚旅行へと向かった先は風光明媚なドーセット州のチェジル・ビーチ。幸せいっぱいでホテルにチェックインした2人の心に、数時間後に迫る初夜を上手く終えられるか、という不安が次第に重くのしかかっていくのだったが…。
allcinemaより引用
感想(ネタバレあり)
結婚初夜の失敗と時代背景
結婚初夜の出来事にスポットを当てたこの作品。
育った家庭環境の違いを乗り越えながらも、互いに愛し合い、心から惹かれ合っている若き男女が結婚。しかし、初夜の失敗で全てがフイになってしまうという、なんとも儚い関係を描いた映画でした。「結婚式から僅か6時間での婚姻破棄」…こう聞くと余計に痛ましさが増す…
昔、新婚旅行の旅先で相手の嫌な所が見えてケンカして別れるという「成田離婚」という言葉が流行った気がするけど、同じスピード離婚でもこれとはまた違うタイプの離婚です。
この映画の時代背景は62年のイギリス。ロックが隆盛してきた頃とはいえ、まだ時代の端境期で保守的な考えが残っていた時代。しかもこの主人公たちはともに真面目なタイプ。ビートニクに影響を受けているらしい彼のほうはちょっと先進的だけど、裕福な家庭で箱入り娘として育った彼女のほうは、性に関してまったくもって保守的です。
そんな二人なので、結婚式後の初夜がともに初体験。海辺のホテルにチェックインし、ぎこちない食事を経て、いざ、その行為を迎えますが、残念ながら上手くいかず。最初はただのお堅い二人ゆえの失敗かなって思って観ていたけど、実は彼女のほうには幼少期のトラウマがあることも暗示され、思っていたより根が深いものが原因でした。
そんなことは知らない彼のほうが、もう無理!ってなってしまって別れるに至るのだけど、彼が後年振り返るように、二人とももう少し大人だったら違った結果になっていたかもしれないと思わせる、切ない別れでした。あんなにお似合いの二人だったのにな。
下世話な話だけど、もしこれが婚前交渉だったらどうだったかとも考えてみた。彼女の方にトラウマがあるのは変わらないのだから、結果は同じだったかなという気もするけど、結婚後やってみてダメでしたって場合よりは、軌道修正が効く可能性があるのではないか。結婚後の場合はもうおしまいだ…っていう絶望感とショックも大きいだろうけど、婚姻前ならもう少し冷静に二人で話し合えたのではないかと思う。それで彼女のほうも自分のトラウマを受け入れる時間が作れたかもしれないし。そしてもう一人出てくるチャールズという男とは、そういうふうに関係を作って成功したんだろうと想像する。
だからやっぱり、彼ら二人にとっては保守的な時代がよくなかったのだろうなーという結論に至りました。
時代を映す音楽
この映画で印象的だったのは、主人公たちの生きる3つの時代の移り変わりを音楽で表現していたこと。
60年代初頭の若き二人の時代には、チャック・ベリー。別れのあとレコードショップの店主になった彼に重なる音楽は、T・レックスの「20th Century Boy」で80年代へ移ったことを一瞬で示し、2007年の年老いた彼らの時代には、エイミー・ワインハウス。
やはり、時代背景というものが肝になってる作品なんだなと思ったし、その後の二人を描いた作品でもあるので、音楽で場面の時代が変わったよってことを映画的に表す手法と二重の役割を音楽に担わせていて面白かった。
あと、彼のほうがロック好きで、彼女のほうがクラシック音楽をやっているというのも、キャラクターを音楽で表していて非常に音楽に寄った映画になっていました。
チェジル・ビーチというロケーション
それともう一つ、この映画で印象的だったのが海岸沿いのロケーションでした。
このコロコロした丸い小石ばかりのビーチ。
冒頭に、この石のビーチをザクザクと並んで歩く二人のその歩みからして、色気のない二人というのが見て取れたし、その後別れの場所ともなるこのビーチのジャリジャリとした踏みごたえが二人の苦くて短い婚姻期間を象徴しているようで、素晴らしいロケーションだなーなんて思っていました。
そして後から原題(映画と小説両方)が「On Chesil Beach」というものだったと知り、まさにこのチェジル・ビーチという場所が元々の大事なモチーフになっていたようです。 イアン・マキューアン氏は小説を書く段階でこのビーチの特性を二人の心象風景にマッチさせて書いていたということだと思うので、映画の視覚的表現を経て観るとあまりにも完璧なロケーション設定で、すごいなと単純に感心してしまった。
ちなみにこのチェジル・ビーチは、イングランドの南西部、ドーセット州に存在するビーチらしい。綺麗なところだから、結婚式と新婚旅行を兼ねて訪れる新婚夫婦が多く居たりしたのかな。
そして最後に役者の話をすると、シアーシャ・ローナンはやはり良い子属性の子だなと思ったし、相手役のビリー・ハウルという俳優は初めて見たけど、こういう顔をしたドイツ人俳優を知っている気がするけど思い出せなくてもどかしかった。イギリス人だけどドイツ人に居そうな顔だ。
同じくシアーシャ・ローナン主演の『レディ・バード』の感想はこちら↓
イアン・マキューアンの原作本も時間があれば読んでみたい↓
『パティ・ケイク$』感想 最高の女版『8Mile』
『パティ・ケイク$』。まったくノーマークの作品でしたが、女性のラッパーものは今まで観たことがなかったため、興味本位で鑑賞しました。しかし!これが想像以上に良い映画で興奮いたしました。では、感想です。
作品概要
Patti Cake$/2017年製作/109分/アメリカ
監督・脚本:ジェレミー・ジャスパー
出演:ダニエル・マクドナルド、シッダルト・ダナンジェイ、ブリジット・エヴァレット、マムドゥ・アチー他
あらすじ
ニュージャージーの寂れた町で、酒に溺れた元ロック歌手の母と車椅子の祖母と3人暮らしのパティ。ラップでの成功を夢みるが、周囲ばかりか母親からも冷たい視線を浴びる日々。くじけそうになりながらも、同じくラッパーを目指す親友のジェリとともに魂の叫びをライムに込めるパティ。そんなある日、ついに正式なオーディションに出場するチャンスを得たパティだったが…。
allcinemaより引用
感想
女優ダニエル・マクドナルドの輝き
典型的なホワイトトラッシュ、どん詰まりな人生。だけど彼女にはラッパーとして成功するという夢があった。
かつてエミネムが主演した『8Mile』(2002)は、ラップ一つで成り上がろうとする貧困層の白人男性を描いた映画だったけど、本作はそれの白人女性版と言える作品で、しかも太っていて周りからダンボとあだ名を付けられバカにされる女性が主人公。
この映画、何が良いって、この主人公・パティがとても魅力的なのだ。おデブで貧乏、だけど性格はチャーミング。憧れのラッパーを目指して毎日自作ラップを作りながら、自分がスターになった妄想を脳内で繰り広げ最悪の生活を乗り切っている。ちなみにラッパーネームは「キラーP」。
ストリートのラップバトルでは、恋心を抱く相手(イケメン)に面と向かって容姿を罵倒されるという、同じ女からしたら目を覆いたくなるキツい経験も。しかし、ほぼダウン寸前のブローを食らいながらも、きちんとラップで返し、相手の反則を誘発する見事な反撃を見せてくれる。ひとたびラップをさせると男顔負けのかっこよさなのだ。(その後に「ひどいこと言われた…」って素直に落ち込んでるのもまた良い)
この主人公パティを演じたのが、ダニエル・マクドナルドという女優。本物のラッパーかな?って思うくらい素晴らしいパフォーマンスを映画のなかで披露していて、主人公のスキルの高さにちゃんと説得力を与えてくれていた。まあ、当然ラップ素人なんでライムとか細かいことはよく分からないのですが、一瞬でかっこいい!って思わせてくれるものがあったのが映画としてとにかく強い。何より、ラップをし始めると途端にオーラが溢れ出てくるのがかっこいいんです。いち女優でここまでできるとか凄すぎるんじゃないでしょうか。
ラップパートだけじゃなく、最初に書いたように、このパティという魅力的なヒロインに息を吹き込んだ彼女の演技が最高なんですよね。ちょっとした表情がめちゃくちゃ良い。自信なさげで、でも調子こきで、欲望に弱そうで、素直で、お茶目で、ときにクールで、ゴージャスで。給仕のバイトで着用する白シャツをピチピチのズボンに押し込めるちょっとした仕草ひとつとってもこのキャラクターを表していて良いんです。もうこの一作だけでめちゃくちゃ好きな女優になってしまったんですけど、フィルモグラフィーを調べると最近観た『バード・ボックス』にも出ていたと知って驚いた。あの太った妊婦さんか!
『バード・ボックス』では主演のサンドラ・ブロックと共に、もう一人の妊婦を演じていたダニエル・マクドナルド。同じ人だとは全っ然気付かなかった!この映画では気弱でちょっとウザい感じもするけど気の優しい女性になりきっていて、本作とはまるで別人。『バード・ボックス』でも印象に残っていたけど、こんなに色んな役ができる女優さんだとは思わなかった。すごい女優さんを知ってしまったわ。
ちなみに前に書いた『バード・ボックス』の感想記事はこちら↓(ダニエル・マクドナルドに関する記述はないですが)
今後の作品としては、ジェイミー・ベル主演の『skin(原題)』(全身タトゥーの元ネオナチの男の実話)にジェイミー・ベルの彼女役として出演しているようです。ジェイミー・ベルも好きなんで気になってた作品!今のところ日本公開未定みたいだけど、この2人のカップルとか楽しみすぎてはよ観たい…
メンバー集め映画としても最高
この映画、メンバー集め映画としてもめちゃくちゃ良かったんですよね。
まず、主人公パティには、元々一緒にラッパーを目指すインド系の青年ジェリ(シッダルト・ダナンジェイ)という親友が居るわけですけど、こやつがめっちゃ良い奴なのです。パティの才能を誰よりも信じ、応援し、一緒に頑張る。きっとパティ一人だったらこの物語はなかっただろうと思える、男女の友情と信頼関係。しかも女性+インド系というマイノリティな組み合わせが見せる妙もたまらなく良いのです。恋する男にラップバトルで罵られ落ち込むパティに「それがバトルだ」と力強い言葉を返したり、ネガティブになる彼女に「マイナス思考は心の毒だ」と言ったりと、常に彼女を支え鼓舞してくれる存在として側にいる。私もマイナス思考に陥りやすいタイプなんで、この男の言葉にハッとさせられましたよ。もうこの人と付き合っちゃえよって思う私は単純なのだろうけど、とにかく本当に良い奴で、ラップパートナーとしての相性も良いんですよね。
そして彼ら2人が出会った変わり者の黒人青年。世俗から逃れ、森の中で生活し、独自の音楽性を持つ彼。ちょっとここ数年見た映画のなかでも稀にみるほどの変わった、他人とコミュニケーションの取れない不気味な男。そんな彼にも積極的にコミュニケーションを取りに行き、次第に彼の心を開いていくパティの人の好さみたいなものがまた良いし、彼の家の機材でついに本格的な楽曲制作へ至ることができます。
そこに加わったのがまさかの車椅子で生活するパティの祖母。いや、たまたまそこに居合わせただけやんっていう流れから、彼女の声が入ることで曲がちゃんと面白くなる見せ方までお見事でした。
このメンバー集めからの楽曲制作。ここが本当に最高で、ああ、こうやって音楽って作れるんだっていうシンプルな感動と、曲自体の持つ魅力がバーンと体に貫いてくる。そして同時に、閉塞感漂う彼らの日常が一気に開けていく場面でもあって、とても気持ちが良かったです。
昔歌手を目指していたパティの母親とパティの確執もこの映画のポイントになっていて、このお母さんも歌が上手く、過去との決別ができずくすぶっている女性として描かれています。
ライブシーンもすさまじく良かった…
監督のジェレミー・ジャスパー氏は、これが長編デビュー作で、音楽も担当してるとかすごいな。本当に面白い映画と出会えたなという感じで、非常に楽しめた一作でした!
『天才作家の妻 40年目の真実』感想 脇のクリスチャン・スレイターが良い
『天才作家の妻 40年目の真実』を鑑賞しました。
作品概要
The Wife/2017年製作/101分/スウェーデン・アメリカ・イギリス
監督:ビョルン・ルンゲ
出演:グレン・クローズ、ジョナサン・プライス、クリスチャン・スレイター他
あらすじ
アメリカ、コネティカット州。現代文学の巨匠として名高いジョゼフのもとにノーベル文学賞受賞の報せが舞い込み、ジョゼフは40年間連れ添った妻ジョーンと喜びを分かち合う。さっそく2人は作家となった息子を伴い授賞式に出席するためスウェーデンのストックホルムを訪れる。するとジョーンの前にジョゼフの伝記本執筆を目論む記者ナサニエルが現われる。彼は、作家として二流だったジョゼフがジョーンとの結婚を機に傑作を次々と生み出した事実を突きつけ、その裏には単なる内助の功以上の秘密があったのでないのか、とジョーンに迫るのだったが…。
allcinemaより引用
感想(ネタバレあり)
まず、監督のビョルン・ルンゲという人は日本での公開作が今までなかったようなので全く知らなかったけど、スウェーデン人監督で、公式サイトのインタビューによると、グレン・クローズの指名によって本作の監督を務めたようです。監督としての手腕にプラスして、この映画の舞台となるスウェーデン出身ということもポイントだったのかもしれません。
アメリカ人作家とその妻がノーベル文学賞の受賞の電話を受け取るところから始まり、その授賞式のために向かったスウェーデンのストックホルムでの短い期間に起こる出来事を描いたこの映画。普段なかなか垣間見ることのできない、ノーベル賞受賞者への密着ものとしても楽しめるのが乙なもので、ちょっと得した気分になれます。
邦題から察することができるとおり、本作は「実は巨匠作家の小説を書いていたのは妻でした」ということが主軸のストーリー。邦題がネタバレだと怒る人も居るようですが、この映画はもう最初のうちから妻の表情によってその事実が観客に伝わるように描かれているのでネタバレ云々に関しては全くの許容範囲だと思います(良し悪しは置いといて)。どうしてそうすることに至ったか、ということが回想シーン(妻役グレン・クローズの若い頃を彼女の娘が演じている)で順々に描かれていくため、その大きな真実は織り込み済みで、過去の経緯と現在のグレン・クローズの心情をあらわす表情や、夫とのやり取りを味わっていく作品でした。
夫のノーベル賞受賞をきっかけに、だんだんと心がくぐもり始める妻。40年間それでやってきたのにどうして今更不満を抱くのかと言われなくもないと思うけど、そこのあたりの夫婦関係も丁寧に描かれている。一番は、夫の彼女への配慮のなさが原因だろう。「内助の功」として感謝のスピーチをされればされるだけ、彼女は夫によって存在を塗りつぶされていってしまう。奥さんにほとんど書いてもらっておいてよくそんな態度でいられるなおまえは!って言いたくなる、すっとぼけたどうしようもない夫なのだ。
きっと彼女は過去にも同じような感情を少しくらいは抱いただろうし、それでもなお、彼のことが好きだったのだと思うけど、はたから見たらあの夫のどこがそんなに良いかは分からない(笑)。そんな感じなので、復讐映画のような展開や残酷さはそんなになく、結局色々ありつつも長年寄り添ってきた夫婦のウェルメイドな物語として決着していきます。そこがちょっと物足りない部分でもあったけど、ある意味これが熟年夫婦のリアルかもなという気もした。
夫婦役のグレン・クローズとジョナサン・プライスの演技は流石だけど、彼らの嘘を追う記者役として登場するクリスチャン・スレイターの存在感も良かった。曲者感と煙たいいやらしさ。『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』でも記者の役をやってたけど、もっとたくさんやってそうなイメージがあるのはそれだけこういう役が似合ってるからかも。グレン・クローズとのちょっと色気すら漂うカフェでの対峙シーンは特に良かった。
スキャンダルなどの影響もあり、90年代の活躍に比べれば低迷しているけど、5年スパンくらいの忘れた頃にこうやって話題作に出てきてくれるクリスチャン・スレイター。『トゥルー・ロマンス』や『忘れられない人』が好きなので嬉しい。せめて3年スパンにしてほしいけどw
クリスチャン・スレイターの良さを再確認できる映画でもありました。
『羊の木』感想 得体の知れない人間の怖さ
『桐島、部活やめるってよ』『紙の月』などの吉田大八監督作『羊の木』。
原作は漫画らしいですが未見。過疎化の進む港町に、仮釈放された6人の元殺人犯がやってくるという映画です。
作品概要
2018年製作/126分/日本
監督:吉田大八
出演:錦戸亮、松田龍平、木村文乃、北村一輝、優香、市川実日子、水澤紳吾、田中泯 他
あらすじ
さびれた港町・魚深(うおぶか)に移住してきた互いに見知らぬ6人の男女。市役所職員の月末(つきすえ)は、彼らの受け入れを命じられた。一見普通にみえる彼らは、何かがおかしい。やがて月末は驚愕の事実を知る。「彼らは全員、元殺人犯」。
それは、受刑者を仮釈放させ過疎化が進む町で受け入れる、国家の極秘プロジェクトだった。ある日、港で発生した死亡事故をきっかけに、月末の同級生・文をも巻き込み、小さな町の日常の歯車は、少しずつ狂い始める・・・。
Filmarksより引用
感想
「元受刑者の受け入れ」=「町の過疎化の解消」で一石二鳥じゃん!?という、国の極秘プロジェクトのもと、さびれた町に6人の元殺人犯がやってくる。
この出だしの設定だけで興味をそそられてしまうのは、何が起こるのだろうという単純な怖いもの見たさと、自分たちの生活に当てはめて考えることもできる、絶対に無くはない話だからだと思う。
どのようにも作ることができるこの設定で、吉田大八監督が描き出したのは、受け入れ側の人間の葛藤や、心に潜む偏見、そしてそれを超えた感情。同時に、元受刑者たちの消えない過去との対峙も映し出す。
特に映画の最初の辺の不穏さは、自分の中にある偏見を浮き彫りにして見透かされているようで、居心地が悪いものであった…
過去に人を殺したからといって、またその人が同じような罪を犯すとは限らないし、理由があったのかもしれないし、まずは人としてまっさらな気持ちでその人を見たいと思う気持ちがある。しかしどこかで、まったく知らないその人物への偏見や恐怖心は自分には消すことができないものだと思い知ってしまった。
ただ、実際に接してその人のことを知ることができたら、それは消え去るものでもある。結局人は「得体の知れない誰か」が怖いのだろう。
そしてその得体の知れなさにはもっぱらの適役である松田龍平が、観る者の猜疑心を一身に引き受けてくれる重要なキャラクターとして登場する。他の殺人者たちが、その背景を理解できるのに対して、この男は終始何を考えているのか掴めない男である。人当たりは一番良いけど、なんだか心がこもってるのかないのか分からないし、フワフワしている。演じる松田龍平のこの感じは彼に常につきまとうものだけど、一体この感じはどこから出せるものなのかと不思議でならない。
(ちなみに一度、松田龍平らしき人を街で見かけたことがあったのだけど、素でもこのフワっとした掴みどころのない感じを体にまとっていたのが印象的だった。まず顔が似てるなと思ったけど、雰囲気がもう松田龍平にしかない雰囲気の人だったので、勝手に本人だったと認定している)
松田龍平以外の元殺人犯たちは、ある程度その人のキャラクターが掴めるので、恐ろしさはない。田中泯演じる元ヤクザの男なんかは、抗争で人を殺しているのである意味一番安心感が持てる人だ。それもおかしな話だけども。結局何をしでかすか分からない人が一番怖いのだ。
北村一輝演じる更生の意志のないチンピラなんかも、近くに居たら嫌なタイプだけど、無暗に人を殺したりはしないだろうという点では安心ができる。北村一輝のこのチンピラ演技もアッパレな嫌さと上手さだった。
元殺人犯たちを受け入れる側の市役所職員を演じた錦戸亮は、視聴者たちの分身となる普通の人間という役回りで、主役ではあるけど本当に普通の男の役。今まであまり出演作は観たことなかったけど、こんなどこにでもいるタイプの受け手の青年が似合うとは思わなかった。
ラストの見せ方が自分としてはしっくりこなかったので消化不良な部分があったり、暗喩が渋滞しているように感じてしまった部分もあったので、面白かった!と声を張り上げて言える作品ではなかったのだけど、役者の演技は良かったし、全体的に説明しすぎない演出だったりは好きでした。
『ゲティ家の身代金』感想 お金持ちじゃなくて良かったと思わせてくれる映画
リドリー・スコット監督『ゲティ家の身代金』を鑑賞。
劇場公開1か月前になってケヴィン・スペイシーが例のスキャンダルで降板、そこからクリストファー・プラマーを急遽代役に立てて撮り直し、無事予定通りの日程で公開させたという製作背景からしてもう凄い。まるで『オデッセイ』の主人公のように冷静に危機を乗り越えてみせた巨匠リドリー・スコット。さすがの一言ですよ。
作品概要
All the Money in the World/2017年製作/133分/アメリカ
監督:リドリー・スコット
出演:ミシェル・ウィリアムズ、クリストファー・プラマー、マーク・ウォールバーグ、チャーリー・プラマー、ロマン・デュリス他
あらすじ
ある日、世界一の大富豪として知られた石油王ジャン・ポール・ゲティの孫ポールが誘拐される。しかしゲティは犯人が要求する身代金1700万ドルの支払いを拒否する。ポールの母親ゲイルは離婚してゲティ家から離れた一般家庭の女性。到底自分で払えるわけもなく、ゲティだけが頼みの綱だった。そのゲティににべもなく拒絶され、途方に暮れるゲイル。一方、誘拐犯もゲティの予想外の態度に苛立ちを募らせていく。そんな中、元CIAのチェイスが交渉役として事件の解決に乗り出すが…。
allcinemaより引用
感想(多分そんなにネタバレなし)
ケヴィン・スペイシー降板からの早業もすごいけど、この映画が実話ベースということもなかなかすごい。
1973年に起きた実際の誘拐事件。誘拐されたのは、世界一の大富豪ジャン・ポール・ゲティという人の孫。
大金持ちの家族が誘拐され身代金を要求されるというのはよく聞く話だけど(それをよく聞く話で済ましてしまうのもあれだけど)、孫が誘拐されているのにドケチが過ぎて「わしゃ一銭も払わん!」とばかりに要求をはねつける世界一の大富豪じいさん。
誘拐されたポールくんの母親(ミシェル・ウィリアムズ)は、誘拐犯との交渉もさることながら、お金を出さない大富豪のじいさんとも交渉しないといけないという、不謹慎ながら映画としては非常に面白い構造になっていました。
誘拐犯たちは素人感丸出しで、ダメダメな人たちだなーと思っていたけど、そこから闇の深い怖ろしい展開になっていたのも良かった。というかそれが実話なんだから本当に怖いのだけれども。
そして大富豪じいさんの、お金に対する執着も怖ろしい。私のような庶民はお金持ちの考えることなぞ想像すらできないのだけど、無理くり一般的なことに直して考えてみると、こういう行き切った人たちはきっと極めすぎて感覚がおかしくなってしまうのだろうと思った。お金儲けということじゃなくても、何か一つのことばかり考えて生きているとそれに囚われてしまって、そのことでしか判断ができなくなる。こういう感覚はどこか分かる気がする。この映画の大富豪はいかに無駄なことにお金を出さないかということばかりを考えてきた人だから、もうそういうふうにしか頭が働かなくなっているように見えた。
この映画は、「お金があったらあったで人は不幸になるものなのだな…」という、今までの人生で何度か思ったことのある考えを過去最大級に身に沁み込ませてくれる映画でした。そうだ、貧乏で良かったと。(ウソ)
まあでも、一番かわいそうなのはポール君で、身代金のために人質にされてしまうのはお金持ちの祖父を持つゆえのことなので本当にこれは大変な身の上だよ。
誘拐犯とゲティ氏の両方に対して交渉をしたポールくんの母は、普通の母親のような取り乱し方もしながら、ゲティ氏と対等にやりあう頭の良さも持った人として描かれる。この人はその場のお金を受け取るかわりに、もっと大きな大事なものを出させることを考えているため、権力とお金で勝負するゲティ氏にとっては天敵となっていて、この対比も上手いなと思わされる脚本でした。
70年代の衣装に身を包み、濃いメイクを施してこの母親役に扮したミシェル・ウィリアムズは、今まで見てきた彼女の雰囲気とはまったく違っていたのが印象的。喋り方も表情も完全に化けていて、彼女の演技力の高さを窺い知れる一作にもなっていました。
ちなみに映画のなかでもチラッと話が出ていたジャン・ポール・ゲティ氏の書いた著作が日本でも発売されているようです。
ポール・ゲティの大富豪になる方法 (ウィザードブックシリーズ)
- 作者: ジャン・ポール・ゲティ,長谷川圭
- 出版社/メーカー: パンローリング株式会社
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しかし、「この本に書かれてる方法を実践すると本当に富豪になれるよ!」ともし言われたとしても、この映画を観た人で実践しようと思う人が居るのかはなはだ疑問であります。出版社の人たちよくこの本出したなと思う(笑)
ジョーカーだけじゃない!ヒース・レジャーの魅力が詰まった6作品
2008年夏、日本での『ダークナイト』公開の初日、その年に亡くなった故ヒース・レジャーのジョーカーを観るために映画館へ行った私はたまげました。
「ヒース・レジャー、どこにも居ないじゃん…!」
喋り方、笑い方、声の出し方、身のこなし…それまで私が大好きだったはずのオーストラリア人俳優の面影はまったくなく、そこに居たのは徹底して作り込まれた「ジョーカー」という悪のキャラクター。もちろん顔をメイクで覆っていることも大きいけど、骨の髄までジョーカーという役になりきったヒース・レジャーは、それまでの出演作とは一線を画す演技を見せ、映画全体を支配していました。
のちにヒースはこの演技でアカデミー賞助演男優賞も受賞し、いまやヒースジョーカーは映画史に残る悪役として多くのファンを持つキャラクターとなっています。
だけど、そこに一抹の淋しさがあるのも本音です。何故ならジョーカーは、ヒース・レジャーの別の魅力がごっそり抜け落ちたキャラクターとも言えるから。まあ、当然と言えば当然です、あれだけ特殊な役柄なので。確かにジョーカーは凄い。凄いけど同時に、ヒース・レジャーの真骨頂はジョーカーとは別のところにあるとも思っています。
前置きが長くなってしまいました。とにかく私はヒース・レジャーの演技が好きなので、まだ『ダークナイト』しか観てないっていう人にも、こんな作品があるよ!って紹介したいのです。紹介させてください。
作品のチョイスは完全に私の独断と偏見です。
- 『チョコレート』(2001年)
- 『ROCK YOU! ロック・ユー!』 (2001年)
- 『ヒース・レジャーの恋のからさわぎ』(1999年)
- 『ロード・オブ・ドッグタウン』(2005年)
- 『ブラザーズ・グリム』(2005年)
- 『ブロークバック・マウンテン』(2005年)
- まとめ
『チョコレート』(2001年)
ハル・ベリーとビリー・ボブ・ソーントン共演の恋愛ヒューマンドラマ。
親子三代で刑務所の看守を務めるアメリカ南部のある家族。差別主義者の父親ビリー・ボブ・ソーントンの息子役を演じたのがヒース・レジャーで、出演時間は短いもののそのなかで強烈な印象を残しています。後述する『ロック・ユー!』で既に「かっこいいし良い演技する人だな~」とは思ってはいたけど、ここまでの若手実力派だとは思っておらず、この作品で初めて私はヒース・レジャーの演技力を目の当たりにしました。細かい背景の説明もなく、台詞も少ない役だけど、ヒース・レジャーの内側に根差した演技によって彼の感情が痛いほどに伝わってきて、涙なしでは見られなかった。
『ROCK YOU! ロック・ユー!』 (2001年)
中世騎士ものに現代的要素を入れ込んだノリの良い歴史娯楽作。ジュースティング(馬上槍試合)という競技の戦いに挑む主人公たちが描かれています。
本作でのヒース・レジャーはとにかくかっこいい。真っ直ぐストレートな若者を爽やかに演じていて、ヒース・レジャーのフィルモグラフィーでは珍しい王道キャラクターです。とあるシーンで流すヒース・レジャーの涙に感情を揺さぶられたりもします。ヒース・レジャーが流す涙はいつも美しい…。正直ヒロインがいまいちだったり、細かいところで言いたいことはある映画ですが、気にせず観るのが良いでしょう。
『ヒース・レジャーの恋のからさわぎ』(1999年)
シェイクスピアの『じゃじゃ馬ならし』を基にした学園ラブコメディです。ちなみにソフト化する前の邦題は『恋のからさわぎ』。
ヒース・レジャーのラブコメが観れるのは日本では現状これだけ。しかもこの作品がとても良い仕上がりのキュートでのほほんとした学園ラブコメとなっており、個人的にも大好きな作品です。ヒース・レジャーが演じるのははみ出し者の不良学生。男嫌いな堅物女子(ジュリア・スタイルズ)を振り向かせるため試行錯誤している内に、次第に本当に恋が芽生え…というようなお話。クールだけどお茶目で優しいヒース・レジャーがたまらん映画となっております。彼女とのやり取りの一つ一つで変化していくヒース・レジャーの表情が良いのです。校内放送で歌うシーンもあり、こんなヒース・レジャー他では見れません。
しかもまだ若くてイモっぽさの残るジョセフ・ゴードン=レヴィットも共演してるときた。こりゃ神映画だ。
『ロード・オブ・ドッグタウン』(2005年)
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70年代に活躍した実在したスケボー少年たち“Z-BOYS”を描いた青春ドラマ。
ヒース・レジャーが演じるのは彼らの兄貴分的存在のサーファー。ボード販売に利益を見出し、彼らのチームを作るんですが、少年たちが成功するうちにどんどん立場が弱くなっていき他のチームの引き抜きなどに狼狽する姿がなんとも侘しくも愛すべきキャラクターでした。分かりにくいけど、付け歯をしてちょっと出っ歯気味な役作りをしています。実はこういうハイな大人をやるのもヒース・レジャーにしては珍しい。絶妙な小物感を演じていました。
『ブラザーズ・グリム』(2005年)
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グリム童話で有名なグリム兄弟を主人公にしたコメディ色強めのファンタジー作品。ちょっと期待外れ感もあったテリー・ギリアム監督作ですが、ヒース・レジャーは良かったので紹介。
まずマット・デイモンとヒース・レジャーの兄弟が意外にも良いコンビで良かった。マット・デイモンのほうがモテ役で、ヒース・レジャーのほうがオタクっぽい役というのが良いじゃないか。ストレートに配役したらイメージ的には逆だと思うけど、ヒース・レジャーがこういう役も上手いのを証明しているし、めがねもすごく似合っていた。しかもこの兄弟、二人ともがビビリでヘボいキャラなのだ。それが良かった。
『ブロークバック・マウンテン』(2005年)
最後はもはや説明不要の名作『ブロークバック・マウンテン』。カウボーイの二人の恋愛を描いたアン・リー監督作品です。
これは男性同士の同性愛ものとして、ちょっと敬遠しているような男性諸君にも一度は観てもらいたい映画。恋愛に男も女もないっていうのもそうだけど、この映画は一人の不器用な男の物語でもあるからです。ヒース・レジャー演じるイニスは過去のトラウマや男らしさに囚われていたり、人としての不器用さに苦しみ続ける男として描かれている。なので、最初は抵抗感を感じたとしても、普遍的な話として受け入れられるんじゃないかなって思います。
そしてこの映画のヒース・レジャーはそんな男の弱さを見事に表現しています。本当に素晴らしい演技で、私にとってのヒースのベストアクトはジョーカーではなく本作のイニスです。
まとめ
『ブロークバック・マウンテン』が一番良い例かもしれないんですが、結局、私が思う彼の一番の魅力は、「男っぽい見た目に反した、内面の繊細さ」なんですよね。それがほとんどの出演作に貫いているヒース・レジャーの個性だと思っています。もう、私はこのヒース・レジャーの個性がたまらなく好きなんだ。この記事を書くために何作か観直したけど、やっぱりこういうヒース・レジャーに心を動かされる。
ジョーカーも凄いけど、ヒース・レジャーを思い出すときに胸を締め付けられるのは、こういう彼だからこそなのだろうと思っています。
ホアキン・フェニックス版のジョーカーも公開が近いこともあり、ヒース・レジャーのことをどうしても思い出してしまう今日この頃なので、こんな記事を書きたくなりました。
そしてここに紹介しきれなかった作品もヒース・レジャーが魅力を放っている作品はたくさんあります。生前ヒース・レジャーって「映画自体はいまいちだったけどヒース・レジャーは良かったな」っていうふうに思わせてくれることが多い俳優だなっていう認識が強かったんですよねw
もし生きていたら40歳になっているはずで、きっとたくさんの素晴らしい演技を見せてくれてたんだろうなって何度も思ってしまいますが、残念ながらそれは叶わない夢。28歳までの彼が残してくれた作品を観れば、何度も会いに行けるのが救いです。
(ちなみに6作という何とも中途半端な数字なのは、本当は5作紹介するつもりが計算ミスで1本増えてしまったからでした…)
『ブロードウェイと銃弾』感想 ウディ・アレンが描く内幕もの
ブロードウェイの内幕ものコメディ『ブロードウェイと銃弾』。
94年製作のウディ・アレン作品で、アカデミー賞に6部門ノミネート、ダイアン・ウィーストが助演女優賞を受賞した映画です。
作品概要
Bullets Over Broadway/1994年製作/アメリカ
監督・脚本:ウディ・アレン
出演:ジョン・キューザック、ダイアン・ウィースト、ジェニファー・ティリー、チャズ・パルミンテリ他
あらすじ
主人公のデビットは若い劇作家。新作の上演が決まったまではよかったが、彼には次々と思いがけない問題が降りかかる。ギャングの顔役に演技力ゼロのショーガールを押しつけられ、主演女優をめぐる三角関係の愛に悩み、脚本のリライト騒動がおき、やがて殺人事件にも巻き込まれていく……。
allcinemaより引用
感想(ネタバレあり)
ウディ・アレン自身が主演じゃないアレン作品って、だいたいいつもコメディ色弱めのものが多い印象だけど、本作は程よいコメディタッチとシナリオの妙が結合した「誰もが楽しめるウディ・アレン映画」と言える作品だったと思います。面白かった!
新人の劇作家がブロードウェイでの上演を取り決めるも、彼にお金を出資してくれたのはまさかのギャングの親分。結果、彼のオンナである無教養なショーガールに精神科医の役をあてがわなければいけなくなる。しかもオンナに悪い虫が付かないように、ギャングの部下がリハーサルへ毎度付き添ってきて脚本に文句を付けてきやがる…
最初は観ながら、このギャングの部下であるゴロツキに嫌気が差すんですよ本当に。短気ですぐキレて、いちいち口を挟んできて、芸術家の大切な舞台を壊そうとする。ケッて感じなんですが、このゴロツキが意外にもシナリオを読む力があるんですよ。彼の「こう変えたらいいじゃないか」という言葉が停滞していたシナリオを動かし始める。最初は役者たちがそれいいね!ってなってたのを不服に思う劇作家も、次第に彼にアドバイスを求めるようになり、果てはほぼほぼゴロツキの案で構成された脚本へと生まれ変わっていく…
しかも、ここから映画の最後のところまで書いてしまうけど、最初は舞台になんかまったく興味のなかったこのゴロツキが、自分が作ったこの脚本に愛着を示し出し、この作品を完璧な状態で舞台にかけるために、演技がド下手なショーガールを殺してしまいます。自分の親分のオンナを殺すんですよ。そしてそのことによって親分に命を狙われても、最期まで「あそこをこうしたら良くなる…」と劇作家に脚本の手直しを託して息を引き取るという…
彼の作る完璧なシナリオに、それまではアーティスト志向の強かった劇作家も自分の才能のなさを自覚して最後には廃業を決意します。
理屈屋の劇作家と、シンプルに生きるゴロツキ。この2人が一緒に脚本を考えてる姿も微笑ましいし、芸術家に対するアイロニーも含まれていて非常に面白かったです。
映画鑑賞を趣味とし映画まみれで生きてるような者にとっては、このゴロツキをいつの間にか愛さずにはいられなくなるはず。舞台になんかまったく興味なかったくせに、次第に人生を舞台に捧げて亡くなるという生き様。演じたチャズ・パルミンテリも大好きになってしまいましたよ。
ウディ・アレンの分身として御託を並べる劇作家を演じたジョン・キューザックも良かった。ジョン・キューザック好きだわやっぱり。あの卵顔がなんとも言えない。若い頃は特にかわいくて良いな。意外と背が高いのも良い。
ジョン・キューザックが恋してしまう大女優にはダイアン・ウィースト。このTHE女優という半ば戯画化された大げさな女の役をダイアン・ウィーストが絶妙のニュアンスで体現。上手いわ~。
他にも、演技は達者だけど、お菓子に目がなく本読みから開演までのあいだにブクブクと太っていってしまう英国人俳優も良かった。男のコルセットは初めて見たゾ。
声も最悪で演技も下手なショーガール、結果殺されてしまう彼女の代役にちゃんとした舞台女優が配役されれば、本当に舞台がグッと良くなっていて笑ったw 本当に精神科医がそこに見えたよ。チャズ・パルミンテリがショーガールを殺した意味はちゃんとあったよ。
ギャングのボスも良かったな。ジョー・ヴィテレッリ。関係ないけど、この人は私が初めて就職した中小企業の社長にそっくりだ。ちょっとチャーミングなボス顔。
『婚約者の友人』感想~フランソワ・オゾン監督が描く「嘘も方便」
フランソワ・オゾン監督の映画はなるべく追いかけるようにしていますが、まだ観ていなかった2017年公開の『婚約者の友人』 。
戦争で婚約者を亡くしたドイツ人女性のもとへ、元兵士のフランス人青年が現れることから始まるサスペンスタッチなドラマでした。では、感想です。
作品概要
Frantz/2016年製作/113分/フランス・ドイツ
監督・脚本:フランソワ・オゾン
出演:ピエール・ニネ、パウラ・ベーア、エルンスト・シュトッツナー、マリー・グルーバー、ヨハン・フォン・ビューロー他
あらすじ
戦後間もない1919年のドイツ。戦争で婚約者のフランツを亡くし、悲しみから立ち直れずにいるアンナはある日、フランツの墓の前で泣いている見知らぬ男性と出会う。アドリアンと名乗るその青年は、フランツと戦前のパリで知り合ったと明かす。フランツとの思い出話を聞き、2人の友情に心癒されていくアンナ。最初は敵国の人間と抵抗感を抱いていたフランツの両親も、アドリアンの人柄に触れるうち、いつしかこの息子の友人を温かく受け入れていくのだったが…。
allcinemaより引用http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=361352
感想(ネタバレあり)
ミステリー映画ではないけどサスペンスフルなストーリー展開は、これぞオゾンという巧みさでした。
フランス男がドイツへやってきて告白をする前半は、戦争の傷を描き出した教訓に満ちたドラマかに見えますが、女がドイツからフランスへ渡る後半になってグッとこの映画がなまめかしく輝き始めます。
フランス男がドイツを訪れる第一部、ドイツ女がフランスを訪れる第二部、と二部構成とも言える折り返し地点のある脚本が、作品に鮮やかさと鏡のような物語性を加えていました。
なんでもこの作品はモーリス・ロスタンという劇作家が書いた『私の殺した男』という戯曲が元ネタで、すでにエルンスト・ルビッチが一度映画化しているそうですが、本作の女性がフランスへ渡る後半部は完全にオゾンのオリジナルのようです。
一つの出来上がった作品をまったく別のものに作り変えたこの手腕は、女性の心理を描くのが上手いオゾンだからこそと言えそう。
一応物語を振り返ると、パウラ・ベーア演じるアンナというドイツ人女性は、婚約者フランツを戦争で亡くしますが、戦後彼女のもとへ訪れたフランス人男性へ恋心を抱いてしまいます。ピエール・ニネ演じるそのフランス人男性アドリアンは、戦争で殺してしまったドイツ軍兵士フランツの家族と婚約者の女性に、自身の罪を告白し許しを請うためにドイツへ渡ったわけですが、 フランツの友人と勘違いされてしまい、そのまま彼の家族らと親しくなってしまう。嘘を付き続けられなくなった彼はアンナにそのことを告白してフランスへ帰っていくわけです。
当然ここからアンナの心の葛藤が激しくなっていき、好きになった男がフィアンセを殺していた!しかし私はそれを知っても彼に好意を抱いたままだ!という状態。
で、手紙の返信が届かず彼の所在が不明になったことをきっかけにフランスまで彼を探す旅に出るわけです。
そこからの展開がまた良かった。一見、彼は自殺して亡くなったかに見せかけといて、裕福な実家でママンと幼馴染の恋人と暮らしているという結末。恋人いたんかい。しかもアンナの気持ちにも全く気付いていなかった。アンナの気持ちを知っても「僕の結婚式に参加してくれる?」とかピュアな目で聞くような坊ちゃんだ。そもそも、自分が罪の意識で苦しいからって相手側に全てを告白して許しを請おうとノコノコやってきたのもどうかと思ってはいたんですよね。(一方、彼の告白を聞いたアンナのほうはフランツの両親にはその秘密は隠したままでいた)
ついたままのほうが良い嘘もある。それがこの映画のテーマになってるわけですが、実際にオゾンは「嘘をテーマにした作品が撮りたい」ということから本作をスタートさせたそう。
アンナの場合は、彼のことが好きになってしまったから関係を終わらせないために婚約者の両親には真実を伝えなかったという面もあると思います。
嘘も方便。
本当にこれに尽きます。少女漫画にはよく「どんな嘘も絶対に許さない」系の女の子が出てきて、 付き合い始めたばかりの彼とのケンカからの仲直り⇒絆が深まる、という話に使われますが、こういう嘘を許さない系のキャラクターに幼い頃から違和感があったのでスッとした気分です。
そして監督自身もこの映画をミスリードさせる嘘を仕込んでいたのが面白かった。
アンナを演じたパウラ・ベーアは初めて観たけど落ち着いた演技ですごく良かった。ピエール・ニネは中性的でちょっと変わった雰囲気だけど、川で泳ぐシーンで脱いだら意外と上半身が鍛えられていてギャップがあったのが良かった。腹回りがクローズアップされて、脇腹の傷にアンナが気付く場面となっているが、彼のギャランドゥも映り込む。きっとオゾンはこのギャランドゥを撮りたかったのだろうと私は解釈している。
アンナに思いを寄せるクロイツという中年男性が嫌なやつとして光彩を放っていたことも最後に書き加えておきたい。